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2005年9月

2005/09/12

■なぜ民主党は人を集められなかったのか

もう1回だけ書きます。

昔、「アラモ」という映画がありました。私が大学生の頃です。ジョン・ウェインの監督主演作品です。最近、リメイクされていますが、古いほうの映画の話です。
アラモといえば、メキシコからの独立を目指して、廃墟になった教会に立てこもって戦った勇敢な男たちの話です。

国会議員だったクロケットが、なぜ死を覚悟してアラモに来たかを語るシーンがあります。彼が仲間とアラモに来たのは、テキサス共和国を創るためなのです。彼はこう話します。

「共和国、リパブリック。響きがいい。言葉には力がある。自由に暮らせ、自由に話せる国。人の行き来が自由で暮らしも自由。言葉を聞いただけで胸が一杯になる。」

民主党の「政権交代」という言葉にパワーがなかったのは胸を一杯にするコンテンツがなかったからです。構造改革、郵政民営化と同じ種類の言葉だったのです。

コンテンツ、ビジョンを創ろうとする人が見つかりません。
私は自分なりのコンテンツを持っていますが、メッセージパワーはありません。
「コモンズの回復」です。いまや手垢がついてしまいましたが。
しかし、私は「コモンズの回復」という言葉にワクワクしていました。
だから、これまでそこにのめりこんできましたが、独りよがりだったかもしれません。
ちなみに、「平和」も「くらし」も、そうしたワクワクする言葉ではありません。

1項目前の記事に書いたように、このブログは休止ですが、
CWSコモンズは継続します。
もしよろしければ、今度はCWSコモンズとお付き合いいただければうれしいです。
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■不明の自覚 

昨夜は8時から1時間、テレビの選挙報道を見ました。
その後は見る気が起きませんでした。
ニーメラーの間違いを私たちは犯してしまったようです。
歴史は繰り返される、です。

今朝、大分の知人がくれたメールにこんな文章がありました。

>もうこれでこの国は取り戻せない気がしています。
同感です。

不明を恥じなければいけません。
これで2回目なのですが。

これまで私は現場で汗する人たちを信頼してきました。
無垢な若者たちを信頼してきました。
彼らの良識を確信してきました。
昨日の選挙結果を見る限り、その信頼と確信はどうも幻想だったようです。
生き方を変えようと思います。

テレビでの「有識者」の発言の内容が変わりだしました。
何をいまさらと腹立たしいですが、所詮はその程度の責任感と知性なのでしょう。

当分、このブログもやめようと思います。
これまでのご愛読、ありがとうございました。
また人を信ずることができるようになったら、書き出します。

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2005/09/11

■民意に従うという欺瞞とマニフェストの欺瞞 

小泉自民党の郵政を受けて、先の国会で欠席したり反対した議員が賛成に回りだしています。その大義名分が「今度の選挙で自民党が勝てば、民意が賛成している民営化(法案)に賛成せざるを得ない」というものです。
一見、納得できる論理ですが、これは欺瞞でしかありません。
欺瞞であることは発言者自身が一番知っているはずです。

人は「聞きたいことを聞き、見たいことを見る」ものです。
発言者は、都合のいいときには民意を口にし、都合の悪い時には民意を無視します。
さらにまた、民意はいかようにも形成できます。それはアンケート調査や意識調査をやったことのある必要とはわかると思いますが、情報の与え方と設問の仕方でかなり誘導できます。おそらく反対の結論を引き出すことはそう難しいことではありません。

マニフェストが話題ですが、私はほとんど価値を見出せません。
これも欺瞞のかたまりでしかないように思います。
自民党と民主党のマニフェストを読みましたが、なんでこれがそんなに価値があるのかわかりません。今までとどこが違うのでしょうか。解釈が多様にできる表現が多すぎますし、第一、これを読んでも全体像もみえませんし、政策評価すらできるとは思えません。

私は政党時代は終わったと考えています。
私が信任を与えるとしたら、それは信頼できる人物にです。主体性など持ち得ない組織という仕組みに信任を与えることなどできません。
そして信任を与える材料は、その人の信念と生き様と人柄です。政策に関する意見は、そうしたことを考える材料でしかありません。
ですから、いつも選挙の投票で悩んでしまうのです。

社民党は憲法9条を守ると言い切っています。
共産党は郵政民営化も含めて大企業への財の集中を変えていくと言っています。
こうしたマニフェストはわかりやすいし、全体像も見えやすくなります。
経済的強者に加担する民営化と経済的平等を目指す民営化とは全く異なるものです。

小泉自民党や公明党は、郵政民営化こそが全体を象徴する課題と言っていますが、それはある意味では正しいでしょう。つまり小泉一派の郵政民営化プロジェクトは、世界の財界に富を集中させ、貧しきものは戦場に狩り出される状況をつくる入り口です。これはまさに公明党が考えている構図でもあるでしょう。

マニフェストはだれでもわかるシンプルな基本信条で、しかも検証可能にしてほしいです。
民意を聞くのであれば、民意が正しく育つような情報環境を整えていくべきです。

民意を顕在化させるための選挙です。
落ち着かない1日です。

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2005/09/10

■さまざまな勘違い 

勘違いが社会を構成し、歴史を動かしていることを今回の選挙はおしえてくれます。
たとえば、

小泉首相も岡田代表も、強い手ごたえを感じているようですが、日を追うたびに言葉遣いが権力的というか押し付け的になってきています。集まった聴衆が自分のために集まっているという勘違いです。
今日の新聞に出ていましたが、主婦の人が小泉首相の演説を聞いていて、内容がないという主旨の話を夫にしたら、夫は、でも小泉さんはがんばっているからいいじゃないか、といったそうです。「がんばること」が大切なのだという「民」の生き方を叩き込まれているからでしょう。これも勘違いです。
女性はもう少し自由ですが、構造改革も民営化も意味がわかっていないのにいいことだと思っている人が多いですが、これも「がんばることはいいことだ」という男性の悲しい習性と似た勘違いです。
民営化という手段と民営化の内容の違いもわからない、みのもんたのようなタレントは論外にしても、手段と目的、形式と内容はまったく別のものですが、多くの人は混同してしまいます。これもまた勘違いで、この種の勘違いを悪用した商法や住民管理は悪徳企業や無責任行政の常套手段です。

こういう視点で考えていくと、世の中は本当に勘違いだらけです。
その勘違いを見直すだけで社会は大きく変わるのではないかとずっと思ってきました。
私たちの未来を決めるであろう今回の選挙が、そうした勘違いの結果で決まるようなことがなければいいのですが。
勘違いしていないかどうか、ぜひ周りの人にも確認していきたいと思います。

こうした私の考えこそが勘違いなのかもしれませんが。
あと2日。いずれにしろ歴史が変わります。

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2005/09/09

■何が問われているかの大切さ 

日本人は問題を解くのは得意だが、問題を創るのは不得手だとよく言われます。
これは、きっと日本の教育理念や教育制度と深く関わっている問題でしょう。
しかし、問題を選ぶのも日本人は不得手であることに気づきました。
今の選挙は、まさに問題をどう設定するかが問われています。
考えのない人たちや不誠実な人たちは、郵政民営化の中身も知らないまま、それが最重要な問題だと思わせられていますが、こういう人は学校では優等生だったのでしょう。
言葉でしか考えないように訓練させられています。
国のために死ねる国民は私の周りにも少なくありません。
かわいそうだとは思いますが、そうした人がイラク人を殺すことを加担しているとなると話は別です。

フセイン暗殺未遂事件の映像が昨日、公表されました。
事件後、フセインは民衆の前で演説し、民衆は「支持します」と小躍りしてフセインを褒め称えています。今、小泉純一郎の前で小躍りしている人たちの映像と非常に似ています。違うのはフセインは冷静に話しているところです。小泉首相の話し方は、ヒトラーそのものです。金正日でも、もう少しは品格があります。

いま、何が問われているのか。
それを真剣に考えなければいけません。
いま小泉自民党を選ぶことは、戦争に狩り出され、教育は洗脳に変質し、信義よりも金が優先され、貧富の差が固定化され、そんな未来を選ぶことだと私は確信しています。
もちろん、違う考えもあるでしょう。
しかし事実を積み上げて考えれば見えてくることもあります。

たとえば、イラクは復興していると思いますか?
年金は改善されていると思いますか?
なんでそんな簡単なこともわからないのか、私には不思議です。
私の間違いだといいのですが。

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■カタカナ言葉と漢字言葉とどちらがわかりやすいか

原稿を頼まれて書いたのですが、編集者からカタカナ言葉が多くてわかりにくいので一部の新しいカタカナ用語を日本語に直してくれないかと要請がありました。
その編集者とは親しい仲なので、彼の真意はよくわかります。
が、これは実は重要な問題だと私は考えています。

これに関しては、以前、CWSコモンズのメッセージで二つのことを書きましたので、まずはそれを読んでもらえればと思います。
http://homepage2.nifty.com/CWS/messagekiroku.htm#m20
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2005/04/post_95ce.html

カタカナ用語だとこれは何だと考えます。
しかし感じで書かれていると何となくわかったような気になります。
ちなみに、構造改革とか民営化を皆さんは具体的に説明できますか。

言葉がコミュニケーションツールであるならば、大切なのは言葉に意味です。
また言葉が実体や概念を創出するものであれば、新しい言葉を使うことが必要です。
わかったような気になることが、コミュニケーションや創造活動では一番危険な落とし穴なのです。

今回、異議申し立てがあった言葉は、ボンディングとブリッジングです。
このコーナーや私のホームページでよくつく言葉ですが、私自身、実はまだ十分には消化していません。ですから過去の記事を読むと自分でもおかしいと思うような使い方もあります。そんな言葉を使うなと起こられそうですが、メッセージを発信し、新しい枠組みを創ることに価値をおいている私にとっては、言葉の呪縛から解放されたのです。ですから、私の文章は、きっとコミュニケーション効果が弱いのでしょう。

さて、どんな言いかえをしましょうか。
考えなくてはいけません。
いい言葉はないでしょうか。

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2005/09/06

■過剰から不足への発想の転換  

栄養過多で身体不調に陥ったり、富栄養化で湖沼汚染が起こったり、情報過多で精神異常になったり、さまざまなところで「過剰」が問題になっています。
「不足」の時代は終わり、「過剰」が問題になる時代です。
若者たちは満ち足りており、物質的には何一つ不足はない、と物不足の時代の育った世代は思います。
今の若者に不足しているのは、「不足」ということだと言った人がいました。

しかし、実はそこに大きな落とし穴があるのかもしれません。
過剰と不足はコインの裏表です。
「過剰」から「不足」へと発想を変えると問題の見え方が全く違ってきます。豊かになりすぎたから若者が働かなくなったのではないことが見えてきますし、情報過多でストレスが高まるのではなく情報不足が問題であることに気づきます。
問題の捉え方が変わると、当然解決策も変わってきます。

今度の選挙騒動で、改めてそのことを実感しています。
情報が本当に少ない時代になりました。

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2005/09/05

■小泉自民党大敗の期待と予感

いろいろな人が、小泉自民党は大勝のようだとメールをくれます。
民主党の選挙事務所の応援をしている人からも、
「一般市民は政治への無力感が強いようです。今回は、自民の圧勝に終わりそうです」
などというメールが来ます。
マスコミの論調も小泉自民の圧勝を予想していますし、多くのテレビキャスターはその予想にしたがってすでに迎合的な発言をしているように感じられます。

どう考えてもおかしい気がします。
私の周りにも小泉自民党に投票する意向の人はいます。
しかし、これは私の偏見ですが、事実をきちんと学んでいる人の多くは、反小泉です。
そして今回は、そうした人のほうが私のまわりには覆いのです。
民主党は好きではないが、今回は対抗上、民主党に投票という人も多いですが。
それは都会人に限りません。
北陸で農業をやっている人も、東北で福祉活動をしている人もいます。
私の実感では民主党が圧勝です。

皆さんの周りはどうでしょうか。
私のまわりが特別なのでしょうか。
そういえば、前回も確か私の予想は全く外れました。

あと6日。
私のいまの予想は小泉自民党大敗です。
確信しています。

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2005/09/04

■ハリケーンの被害から見えてくるもの 

米国のルイジアナ州のニューオーリンズを直撃したハリケーン「カトリーナ」はさまざまなものを顕在化させてくれました。特に衝撃的だったのは、略奪や暴力事件です。私たちが向かっている世界を見せてくれたのではないかという気がしてなりません。
小泉自民党がめざしているのは、まさにそうした社会のような不安があります。私が憧れる気遣いあう社会とは正反対の世界です。いまの選挙戦で、少しずつ具現化されだしているのが不気味です。

欧米では最近、「ソーシャル・キャピタル」という言葉が広がりだしています。日本語に訳すと「社会資本」、つまり社会にとって一番大切な資源という意味ですが、社会資本といえば、日本では道路やダムなどの公共施設を思い出す人が多いでしょうが、最近、広がっているソーシャル・キャピタルは、「人と人のつながり」「信頼関係」という意味です。つまり、これからの社会にとっては信頼関係こそが社会にとって最も重要になってくるということです。
信頼関係が崩れたために発生した社会問題は少なくありませんし、信頼性の低下により、社会経済の生産性も低下し、社会コストが急増しています。そうしたことを考えると、これからの経済成熟社会にとって、こうした意味でのソーシャル・キャピタルはますます重要になっていくことは間違いないと思うのですが、どうもまだソーシャル・キャピタルを壊す勢力が日本では強いようです。
しかし、その震源地はやはりアメリカだったようです。それを改めて思い知らされた気がします。

気が重くなることばかりの毎日です。杞憂でしょうか。病気でしょうか。

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2005/09/03

■在宅療養者や病院入院者の投票 

投票に関して次の質問が私の関わっているメーリングリストに投稿されました。

「在宅で療養中の、投票所へ出かけられない方、当然不在者投票も出来ない方、この様な方の投票についてサポート活動をしている方、またその方法について知っていらしたらお教えください」。

今のところ、まだ見つかっていませんが、ご存知の方はいないでしょうか。いたら私にメールをいただけるとうれしいです。
ちなみに現行制度では、要介護5の人や身障者手帳を持っている人などの重度障害者は郵便等による不在者投票が認められていますが、面倒ですので、そう利用者はいないでしょう。ノーマライゼーションやユニバーサルサービスの体制には程遠いです。

この人は、「在宅療養者向けの専門の投票箱を作成して、選挙管理委員会が、2日ほど設けた日を事前に告知し、1軒ずつ訪問し、投票できる在宅投票システム」ができたらいいなと提案しています。

これまで考えたことがありませんでしたが、こうした問題はまだたくさんあるのでしょうね。

このメールを読んだ方から、個人的に次のメールが来ました。

「入院中の投票が「必ず鉛筆書き、封禁止」となっていました。書き直される可能性を感じても病院にいてはゴタゴタを恐れて言えずに終った経験があります。また、自宅療養の父は投票が出来ませんでした。弱者の基本的権利を切り捨てです。」

続けてこう書いてきてくれました。

「いま元気でも、誰もが明日は身体的にも弱者の立場になるかもしれない、自分の問題です。弱者という言葉が嫌いなのですが、だれもが手を携えて生きてゆける世の中が、一番生きやすいと考えていて、何も出来ない自分にイライラします。」

この方はコムケアの理念に共感して、応援してくれている方です。ご自身がさまざまな障害や病気を抱えながら、です。
「だれもが手を携えて生きてゆける世の中」。これが私の取り組んでいるコムケア活動です。事務局長をやっているおかげで、実にさまざまな話に触れることができます。気が滅入ることが多いですが、その問題に向けて必ず誰かが前向きに取り組んでいることに勇気付けられもします。

それに、問題を抱えている人は、みんな本当に優しいです。
こういう人たちの支えあいの輪を育てていくのがコムケア活動です。
仲間になってくれませんか。
取り組む課題は山のようにあります。
年金の無駄遣いの、ほんの一部でももらえればたくさんのことができるのですが。

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2005/09/02

■電話で頼まれたらどうしますか。 

選挙になると久しぶりの電話がかかってきます。
もちろん投票の依頼です。注意しないと同じ学校の同窓生などという危ない電話もあります。
今回、最初にかかってきたのは大学時代の同窓生からでした。
すぐに選挙とわかったのですが、彼の立場から推薦する政党はすぐにわかりました。
いつもだと、この種の電話には「はい、わかりました」とやわらかく対応して、実際には減点します。投票しようと思っていた陣営の人からの電話がいかにもひどかったので投票をやめたこともありますが、少なくとも私の場合は、電話で直接依頼があれば必ず評価は下がります。投票先はともかく投票に入ってくださいという電話は例外ですが、私の体験ではそうした電話は共産党からだけです。
電話作戦はマイナス効果しかないだろうに、なぜやるのでしょうか。時代感覚の欠如としか思えません。私のまわりもだいたいは私と同じ反応です。

実は今回も、形の上ではやわらかく対応する予定でした。しかし、相手が「郵政民営化は賛成だと思いますが」と言ってきたので、見過ごすわけにはいかなくなりました。こうした場合、「民営化って何ですか?」と素直に質問するのが私の基本姿勢ですが、それでは時間がかかりすぎるので、今回は明確に民営化法案反対を表明しました。また友人を一人失ったかもしれません。その上、彼に私のホームページとブログを読んでほしいと言いましたので、もし読まれると怒りをかいそうです。何しろその政党のことをひどく言っていますから、読まれないことを祈りたいです。

さて皆さんならどうしますか。
友人知人からの電話に対してはきちんと意思表示しますか、それとも表向きは否定せずに裏切りますか。もちろん投票しようと思っていた人(党)ならば、正直に言うでしょうが。
選挙は人間関係を壊します。

私は投票先をまだ決断できずにいますが、一番投票可能性の高い党から電話がないことを祈ります。もし電話があれば、変更しそうです。前回もそうでしたが、信念からの投票ではなく、今回も流れを変えるための次善策としての投票になりそうなのですが、そのためにふらついています。この1週間熟考する予定です。

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2005/09/01

■認知症は病気でしょうか 

認知症になっても安心して暮らせる町づくり100人会議が展開している「認知症を知る1年」キャンペーンのパンフレットが届きました。認知症のお年寄りのグループホームで働いている若者に見せたら、ちょっと嫌ですね、と言われました。パンフレットに書かれていた『認知症は「病気」です』という小見出しがひっかかったのです。みんな病気などとは思っていないし、病気などといわれたら嫌な気分になりますよ、というのです、
このパンフレットの作り手は、たぶん認知症を差別しないように、だれでもがかかるかもしれない病気なのだという意味で使ったのでしょうが、そこには「健常者」の目線しかなかったのかもしれません。このパンフレットは写真もひどく、私自身もこのパンフレットを手にした時にとても不愉快な気持ちになりました。ケアマインドを感じられない人やものには、私は強い心理的拒否感が働くのですが、このパンフレットにも何か違和感がありました。私だけではない仲間がいたので、少し安心しました。
こうしたパンフレットが、政府の資金でどんどん作られているのです。100人会議の発起人は、さわやか福祉財団の堀田力さんたちですが、このキャンペーンは厚生労働省の提唱です。おそらく堀田さんたちは乗せられたのでしょう。しかし、どうせやるのであれば、もっと心を込めてやってほしいものです。資金ももっといい使い方があるはずです。コムケアに提供してもらったら、10倍は効果的に活用できます。

ところで、認知症は病気でしょうか。あるいは病気といったほうがいいのでしょうか。
これは私にはにわかには決めかねますが、この指摘をしてくれた若者は、認知症の祖父母と同居の家庭で育ち、いまはグループホームで利用者ととてもいい関係を育てています。ですから、彼のコメントや反応は信頼できます。

それにしても私たちは、人に看板をつけることで自分と切り離してしまう傾向があります。
痴呆症を認知症と言い換えるのもどうかと思いますが、それ以前の問題として、病名をつけて差別化するのではなく、連続性を見つけて共生の仕方を深めていくほうがいいように思います。
発達障害にしても、ニートにしても、どうしてみんな、勝手に定義づけて自分とは切り離してしまうのでしょうか。自分もまた連続的にそうした生き方とつながっているのですが。

私は最近、もの忘れが増えています。今年の初め、脳のMRIをとったら、年齢相応に認知症の症状や脳梗塞のシグナルが出ているといわれました。少し不正確な表現かもしれませんが、まあ加齢とともにそうした状況になるらしいです。
もしそうであれば、病気ではなく、健全な加齢症状です。それに痴呆がわるいわけではありません。認知障害などといわれるといささかムッとしますが、痴呆は素直に受け入れられる語感があります。
私の理想は、健全に痴呆化し、家族にそれなりの迷惑をかけて、天寿を全うすることです。そんな贅沢なことができるかどうかは、全く確信はもてないのですが。

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