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2005/10/15

■合意形成を目指す社会の行く末

郵政民営化法が国会を通過しました。
信念を持っていたはずの国会議員も変節したようです。
異質性を認めない、今の社会の象徴的な姿です。

非常に象徴的なのですが、村上ファンドの動きが話題になっています。
企業価値を高めることがなぜ悪いと村上さんは言いますが、問題はだれにとっての「企業価値」か、です。いうまでもありませんが、村上さんが話しているのは、株主にとっての企業価値、キャッシュフローベースの企業価値です。あえて極言すれば、生活者にとっての企業価値と往々にして対立する価値であり、私のような生活者にとっての「企業価値」を下げることでしかありません。
郵政民営化の未来が、そこに象徴されています。
残念ながらもう生活者たちは元には戻れませんが。

企業価値論議は以前も一度書いたことがありますが、今日の話題は「合意形成」です。
「民主主義」と「多数決による合意形成」を混同している人が少なくありません。きっと正反対の考えなのではないかと思います。これがなかなか理解してもらえません。中途半端な学校教育の成果でしょう。
国会はさまざまな意見や価値観が議論を通して、お互いをケアしながら、ある仕組みをつくっていく場です。法律は決して単純な基準ではありません。状況に合わせて、判断できる余地を残しながら、判断の拠り所を出していきます。解釈の余地のない法律であれば、裁判は不要です。
つまり大切なのは、作られた法律ではなく、つくる過程での議論です。合意形成が大切なのではなく、多様な意見への配慮やその検討が大切なのです。

国会は見事に強制的な合意形成の場になってしまいました。合意しなければ活動もできないのでは国会の意味はありません。
納得できていないのに、合意してしまう、つまり嘘をつくわけですが、これでは、子どもたちに嘘をつくなとか、自分の意見をきちんと言えとか、信念を貫けとか、いえません。こうした問題も発生させています。

しかし、こうした「合意形成」への圧力や信仰は国会に限ったことではありません。企業でも地域でも、NPOですら、合意形成信仰が強いのです。
合意形成しなければ前に進まないだろう、と言われそうですが、進み方はあるでしょう。そろそろ「合意形成信仰」を見直すべき時期だと思います。
強制された合意形成ではなく、自然に生まれてくる合意にこそ、価値があります。
「合意形成」は、目的語ではなく、主語で考えるべきでしょう。
合意形成を図る、ではなく、合意形成が育つ、です。
これがスローライフの真髄かもしれません。

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