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2005/10/17

■焚き火ができないのはなぜでしょうか

空いている近くの宅地を使ってさつま芋を育てました。
女房がそこで、先日、近くの子どもたちと一緒に芋ほりをしたそうです。
私は残念ながら不在でしたので参加できませんでした。
昔であれば、そこで焚き火をし、焼き芋をみんなで食べたでしょうが、今は焚き火ができません。不思議な時代です。
収穫したさつま芋はそのまま各自のお土産になってしまいました。
これでは楽しさ半減です。

なぜ焚き火ができないのか。
においでしょうか。ダイオキシンでしょうか。それとも防火対策でしょうか。
いずれにしろ、私たちの生活は豊かさを失ってきています。

それを「豊かさ」というだろうか、と思われるかもしれません。
しかし、それを豊かさと言わずして、何を豊かさというのかと私は思います。

よく言われるように、私たちの労働時間はどんどん長時間化しています。
経済的収入は、それによって増えている人も少なくないでしょう。
もっとも労働時間と経済的収入は必ずしも比例はしません。
経済的収入が低下するから労働時間が長くなると言う構図もあるのです。

ところで問題は経済的収入が増えている、いわゆる「勝ち組」の人たちは豊かになっているのでしょうか。
経営学の世界に、デシの法則と言うのがあります。
給料などの経済的報酬が高くなると、内発的な動機付け、つまり働くことの喜びは低下する、というのです。これはいくつかの実験で実証されています。
内発的動機付けは、豊かさや幸せにつながっています。
最近はそうした議論が主流になってきました。
この一点だけをとってみても、勝ち組は豊かにはなっていないのかもしれません。彼らの行動を見ているとそんな気がします。誤解かもしれませんが、はい。

豊かさとは一体何なのでしょうか。
どこかで何かが間違っているような気がしてなりません。

焚き火ができる社会はいつ戻ってくるでしょうか。

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