■大人の社会から生命の社会へ
昨日から「社会の喪失」(中公新書)を読んでいます。
実に刺激的な、考えさせられる本です。
社会の喪失とはなんでしょうか。
まだ読了していないので、その意味を理解していませんが、
社会には二つの側面があるといわれます。
私流に表現すると「大人の社会」、つまり合意形成を大事にする全体化志向の社会と、「生命の社会」、つまり異質性を楽しむ複数性志向の社会です。後者の社会で重要なのは合意ではなく、寛容さと認め合いです。
そのいずれかに「社会」の価値を見るかで、生き方も考えも変わります。
さらにいえば、たとえば、このそれぞれの社会に応じたノーマライゼーションの発想があるように(そしてその内容は全く正反対のものになります)、この違いは「異質」というよりも「異次元」なのです。
にもかかわらず、いずれも「社会」という言葉で一括されています。
ちょっと留意すれば、「社会性」という言葉すらも反対の意味を持っていることに気づきます。
全体に同調し自己を抑える社会性と自分をしっかりと主張する社会性とがあるのです。そこを巧みに操るのが権力の常套手段ですが、そこに愚かにも埋没するのが小市民の常なのです。私自身は、愚かさを反省しなければいけません。
どちらの「社会」を生きるか。
私自身は同調する生き方から自らを解放するために、17年前に「会社を離脱」しましたが、辞めたからといって同調社会の呪縛から抜けられたわけではありません。
意識的には「生命の社会」に生きようとしていますが、「大人の社会」の呪縛から生きていくほどの勇気を持ち合わせていません。
ですから私自身、社会性という言葉を曖昧に都合よく使っている気がします。
これからはもう少ししっかりと「生命の社会」を生きようと思います。
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