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2005/10/31

■マイオピアからノー・ロングタームへ

ハーバード大学のマーケティングの権威、セオドア・レビットに「マーケティング・マイオピア(近視眼的マーケティング)」という名論文があります。私がマーケティングに関心を持った契機になった論文です。マーケティングの専門家だった重久篤さんに紹介してもらいました。惜しくも彼は10年ほど前に若くしてなくなりましたが、本当に残念なことでした、重久さんが生きていたら、私の人生は少し変わっていたかもしれません。得がたい友人の一人でした。
なぜか今日は、重久さんのことを思い出してしまいました。ある本を読んでいたらノー・ロングターム」という言葉が出てきたからです。

レビット教授のマーケティング・マイオピアは、いわば現在流行のCSの発端です。この論文派1960年代に発表されましたが、企業がその価値に気づいたのは1980年代です。ハーバード・ビジネス・レビューも1980年代にこの論文を採録しましたが、私はその少し前に重久さんからその存在を教えてもらいました。
1980年代は、まだ社会も経済も政治もビジョンを持って進んでいたように思います。マイオピア、つまり近視眼の危険性への認識が高まり、アメリカではビジョナリー・カンパニーが注目されるようになりました。もちろんこの動きは、日本でも表層的に真似されました。そしてビジョンを勘違いした財界リーダーによって、日本はバブル破綻の罠に陥っていったのですが。

昨今の企業はどうでしょうか。
マイオピアどころではなく、「ノー・ロングターム」が常識化しているようです。つまり「長期思考はだめ」というわけです。企業の管理者層の人と話しているとそれがよくわかります。経営者の文化が「ノー・ロングターム」なのです。
そのおぞましい文化が、産業界だけではなく、政治や行政、地域社会や私たちの生活にまでどんどん広がっているような気がします。
いうまでもありませんが、ノー・ロングターム発想は信頼関係を育てたり、安定を大事にする文化とはなじみません。むしろ信頼や安定を壊すのがノー・ロングタームなのです。時代の変わり目には、そうした生き方がそれこそ短期的には効果的であることもありますが、むしろロングタームの展望を踏まえておかないと明日はあってもその先はないかもしれません。そうした社会の中ではストレスが充満します。それはもう限界に近づいているような気がしてなりません。

ソーシャル・キャピタル論議も起こっていますが、このところその動きは封じられているようです。
「ノー・ロングターム」。この忌まわしい呪縛から自由になって、もっと安定と信頼を目指した生き方が広がるといいなと思います。
ノー・ロングタームの変革の先に何があるか、思うだけでも気が重くなります。

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