« ■大人の社会から生命の社会へ | トップページ | ■地方分権と地域主権 »

2005/10/10

■企業変革と国家変革

日本能率協会が企業の経営者を対象に「当面する企業経営課題に関する調査」の結果を発表しましたが、それによると中間管理者層に不満をもっている経営者が多いようです。第一の不満は、変革の推進です。管理者層が企業を変革してくれないと不満を持っている経営者はなんと7割もいます。第2は部下の指導ができていないということで、これも3分の2の経営者がそう答えています。答えているのは、経営者自身ではなく、経営参謀スタッフかもしれませんが、ここに日本の企業の病理を見ます。
先ず、変革は経営者の仕事であって、管理者の仕事ではありません。管理という言葉に象徴されるように、管理者は「管理」者なのです。「変革」者ではないのです。その基本原理を理解していない経営者は、自らの役割を認識していません。管理と経営は異質なものなのです。
次に、管理者を期待通りに動かせないという点で、部下の指導は実は自らの問題なのです。明らかに論理矛盾があります。
つまりこの調査結果は、経営者が自らのシャドー(影としての実体)を顕在化させたものなのです。そして、その役割や責任を放棄しているということの宣言でもあるわけです。

企業の変革は極めて簡単ですが、経営者にはやる気がないのです。
なぜやる気がないかといえば、変革には自己否定が伴いますから、意思決定者にはそれこそ苦渋の選択なのです。第一、メリットがありません。だから、自らは変革せずに、部下の変革を迫るという、論理矛盾が発生します。成功するはずがないのです。

変革といえば、日本という国自体の変革が財界人と官僚と学者たち、つまり産官学によって進められています。小泉首相や前原代表のような歴史観のない政治家は、おそらくその走狗として使われているのでしょう。
彼らがいよいよ手を付け出したのが、憲法です。本物でない学者や有識者もその尻馬に乗り出しました。哀しいことです。
憲法を変えることで、国の本質は変わります。歯止めがなくなるのです。
国民主権のもとでは、変革の主役は国民なのですが、現実には「国民」は実体概念ではありませんから、国民を操作概念にして第三者が変革を進めます。首相は国民が選んだという大義が使われますが、それこそが権力支配の擬制です。
余計なことを付け加えれば、理念としての民主主義と制度としての民主主義は全く違います。勘違いしてはいけません。民主主義を多数決原理などと勘違いする馬鹿な間違いを犯してはいけません。多数決は原理としてはありますが、大状況においては情報基盤が違いますから正当性を持たない抽象概念です。

企業にたとえていえば、外部のコンサルタント(時にはタレント)が企業変革を進めて、結局は企業をだめにしているように、国もまた外部の「知恵者」にのっとられているだけの話かもしれません。国民は実体がないために、対抗できないのです。

ほとんどの支配者にとっては、戦争を引き起こすことほど魅力的なプログラムはないでしょう。そこでは連帯が起こり、感動が生まれ、日常が忘れられるからです。
生活の視点で考えれば、自民党、民主党などという分け方は無意味です。戦争との距離という点では、岡田さんや前原さんと小泉さんは大きな違いは感じられません。中途半端に若いだけに、最近の若者たちのような「優しさ」や「寛容さ」も感じられません。

企業の変革は進まず、国家の変革は進んでいく。
10年後が心配です。
そのころにはどんな生活を送っているでしょうか。
いい時代を懐かしめる私には大きな救いがありますが。

|

« ■大人の社会から生命の社会へ | トップページ | ■地方分権と地域主権 »

企業時評」カテゴリの記事

コメント

最近の若者達が現在の政権を選んだのでは
ないですか。

投稿: 小田 | 2005/10/10 12:59

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■大人の社会から生命の社会へ | トップページ | ■地方分権と地域主権 »