■日本にあったホスピタリティ文化はいつ変わったのか
黒岩比佐子さんがまたとても興味深い新書を出版しました。
「日露戦争 勝利のあとの誤算」(文春新書)です。
日露戦争のポーツマス講和に反対した国民が起こした2日間の「日比谷焼打ち事件」がテーマです。初の戒厳令まで出された帝都騒擾事件で、それを契機に、言論統制が強化され、日本は戦争の時代へと進んでいった、歴史的な事件だったようです。司馬遼太郎は、この暴動が、それからの40年の魔の季節への出発点ではなかったかと考えていたようです。黒岩さんも、この事件が近代日本の一大転換期だったといっています。恥ずかしながら私はその事件の存在さえも知りませんでした。
黒岩さんが着目してくれたおかげで、私もこの事件と、そこから始まった日本社会の変質を知ることができました。そこには今現在の状況を理解し、これからを見通す大きなヒントが含意されているように思います。
黒岩さんは、あとがきで、「本書は、日露戦争直後の激動の日本を、百年の視座で描こうとした試みである」と書いています。著者としての思いが伝わってきます。
大きな流れに重なるように、いくつかのサブテーマが絡み合っています。たとえば政府と新聞の関係、新聞の大衆操作、新聞人たちの生き様など、そのいくつかはそれだけでも一冊の新書になるでしょう。昨今の政治状況や社会状況と重ね合わせて読んでもとても面白いですが、黒岩さんらしい、丹念な文献調査を踏まえていますので、大きな流れの中に出てくる小さな挿話や現代の有名人とのつながりなども、実に生き生きとしていて興味深いです。
私がとても印象深かったところをひとつだけ紹介します。
ロシア人捕虜に対して日本人は極めて寛容で親切な対応をしていたようです。その文化はその後、変質し、次第に捕虜虐待へと変わっていくわけですが、日本にそうした「ホスピタリティ文化」が明治前半まであったことを知って、とてもうれしい気分になれました。
しかし一方で、捕虜になって帰還した同胞には日本社会は極めて厳しかったようです。黒岩さんは「生きて虜囚の辱めを受けず」という、1941年に全陸軍に下されたあの戦陣訓が招くことになる悲劇のプロローグは、「この時点」から始まっていたと書いています。外国人捕虜には優しく、捕虜になった同胞には厳しい文化は、別個のものでなくセットのものでしょうか。私にはとても気になる問題です。
ちょっと読み応えのある新書ですが、皆さん読んでみませんか。これからを考える示唆もありますし、なによりも面白いエピソードや雑学の宝庫でもあります。加山雄三や小泉純一郎の名前まで出てきます。もちろん村井弦斎も出てきます。
お時間の許す方はじっくりとお読みください。
なお、黒岩さんのブログに執筆動機などが詳しく書かれています。この文章だけでもぜひお読みください。
http://blog.livedoor.jp/hisako9618/archives/50146881.html
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