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2005/11/30

■チームで相談できる試験制度

韓国で、大学受験に携帯電話を活用した不正行為が問題になっています。
不正行為は悪いでしょうが、そんなにしてまでして、合格しなければいけない状況はどこかに間違いがあると私は思います。教育と言う視点で考えると、根本的なところに問題がありそうです。
先日書いた川崎教授の話に出てきた印象的なことをまた書きます。

フィンランドの学校の紹介の中に、試験の解答をチームで議論しながら答える写真がありました。目からうろこがおちました。試験の目的は何でしょうか。

「評価」は、その視座と目的によって全く変わったものになります。
管理型評価と支援型評価です。
最近流行の行政評価や福祉施設評価は前者です。管理者にとってはともかく、受益者や当事者にとってはほとんど価値のないものだと思っていますが、場合によってはむしろ害をもたらすでしょう。ですから私は反対です。ある自治体から相談を受けた時も大学教授たちの提案する管理型を批判してしまい、仕事はさせてもらえませんでした。無駄使いが上乗せされたと思っています。
行政評価では当初から私は共創型評価を提案しています。これは管理者にとっても意味があると思いますが、何よりも現場支援型であり、実践的です。
共創型評価は、当事者が中心になって現在の状況を改善しようと話しあうことです。評価を通して、効果を挙げ、働きやすくなる仕組みです。

試験の目的は何でしょうか。選別でしょうか、格付けでしょうか、支援でしょうか。
入試はともかく、それ以外の試験の局面では、むしろ試験を通してみんなの学力が高まることが大切です。だとしたら、みんなで話し合って正解を見つけていくスタイルの試験のほうが効果的です。
チームが受験単位になる試験はいろいろとあると思いますが、学校の試験はグループ単位にするときっと楽しくなりますね、そして学びあえると思います。

管理の時代は終わりました。
21世紀は現場の人たちが主役になる、真心の時代になってほしいです。

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