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2005/11/25

■本能寺を焼いたのは誰か?

昨日、次世代人材育成研究会で、北海道東海大学の川崎一彦教授から聞いた話です。
川崎さんは今の教育は押付け型で子どもたちの創造性を育てるどころか、奪っているという思いで、いまフィンランドの教育モデルを参考にしながら実践的な教育モデルの開発に取り組んでいます。
そうした活動のお話をしてくださったのですが、そこにこんな話がありました。
「本能寺を焼いたのは誰か?」という質問にどう答えるか、という話です。
皆さんはどう応えるでしょうか。
私はいろいろ考えたのですが、答がわかりませんでした。
川崎さんはある子どもの答を紹介してくれました。
「私ではありません」。

見事な答です。
否定できない事実ですね。
明智光秀ではないか、いや一兵卒だろう、森蘭丸かもしれないなどと考えていたのですが、この答は見事です。しかも、自分の問題として考えています。
子どもたちの発想はすばらしいです。
なぜこうした素直な答ができなくなったのでしょうか。教育のせいでしょうか。

教育水準が上がると環境消費量が増大し、収入は増加するという関係があるそうです。
教育水準があがると「生きる力」は強まるのでしょうか。
昔、educated incapability という言葉を聞いたことがあります。教育を受けて、知識を身につけることと反比例して生活力が低下するという話です。平たく言えば、知識だけあって口は達者だが実際には何もできない人、ということでしょうか。こういう人は決して少なくありません。

教育とはなんでしょうか。
氷が解けると〔   〕になる、の括弧の中に何を入れるか。
学校教育では、「水」が正解です。
しかし、北海道の子どもたちは「春」というそうです。これは有名な話ですが、こうした表情のある答を奨励する学校であれば、きっと子どもたちには楽しいでしょうね。

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