■自動車に関する安全対策
自動車事故の報道が最近また増えています。
交通安全白書によれば道路交通事故での死者数は減少傾向にあり、昨年は7,358人でした。これはピークだった昭和45年(15,765人)の半分以下です。しかし、安心してはいけません。死傷者数でみれば、増加傾向にあり、昨年は119万人でした。ちなみに、昭和45年は100万人弱でした。当然、事故数は増加傾向にあります。
なお、日本の場合、交通事故死として計上されるのは事故後24時間以内に死亡した場合です。海外は1か月以内というところも少なくありません。
自動車産業の業績が好調です。その利益の大半は海外市場での利益だそうですが、それはともかく、もっと交通事故対策に利益を投入すべきではないでしょうか。
宇沢弘文さんの「自動車の社会的費用」は有名ですが、交通事故に伴う社会的費用はもっと真剣に考えられるべきだと思います。
この問題に関しては、先月のサロンでも話題になりましたが、私はいまのアプローチに間違いを感じます。それはJRの安全対策に関しても感ずることです。いずれも対症療法的な処方でしかありません。
たしかに自動車に関しては、安全対策にかなりの努力がされています。しかし、自動車はつまるところ、マン・マシン・システムですから、製品としての自動車だけを考えていても問題は解決しません。
しかも自動車は、マン・ソシオ・システムの要素が強いですから、道路やまちの構造にもつながっています。
たとえば、我が家の近くに「ハケの道」といわれる細い道があります。散歩道としてはいい道なのですが、ここも4メートル道路にすることになっており、両側の地主はセットバックを要請されています。たしかにこの道沿いにも住宅がありますから、自動車交通不可にはできないかもしれません。しかし、すべての道を自動車が通れる道路にする必要はありません。まちの構造づくりに問題があるように思います。都市計画家の失敗だと思いますが、今もなお、行政はその路線を続けています。自治体の都市計画や都市建設の部署の発想は、多くの場合、生活視点が欠落した「専門家」的です。その背景に、自動車メーカーの存在を感じます。
道と道路は違うのです。昔は、道はもっと多機能な生活空間であり、生活をつなぐものでした。いまは往々にして、生活を分断しています。
先月、山形市の商店会の若者たちとフォーラムをやりましたが、そこでゾーン30やトランジットモールが話題になりました。生活の視点から自動車との付き合い方を考えようというアプローチです。商店街の若者が、そんなことを考え出しています。自動車メーカーはもっと真剣に考えるべきではないでしょうか。
それにしても昨今の自動車事故は許しがたいものがあります。飲酒運転で事故を起こした人は二度と運転免許を与えるべきではありませんし、そこで死傷事故を起こした場合は、殺人罪と同じ扱いをすべきです。飲酒運転で死者を出した場合、未必の殺意があると断定すべきです。日本の法律は飲酒運転者に甘すぎます。つまり自動車メーカーに甘いということです。
その点を正していく努力を、自動車メーカーはなぜしないのでしょうか。
トヨタのCSRや環境経営は、そこから始まると私は思っています。
| 固定リンク
「企業時評」カテゴリの記事
- ■がん民間療法体験26:天日塩の入った味噌(2023.10.16)
- ■『働きがいのある会社とは何か 「働きがい理論」の発見』をお勧めします(2022.11.18)
- ■20年ぶりにかっぱ寿司に行きました(2022.10.04)
- ■原発事故の損害賠償を受ける覚悟があるのでしょうか(2022.07.13)
- ■「新しい経済」に向けての2冊の本をお薦めします(2022.05.18)
コメント
飲酒運転に対する法が変わり重くなってから轢き逃げが増えたことを御存知ですか。
ある一方的な正義の主張は官僚や政治家の主観と同じく他の問題を引き起こしてしまいます。
全ては当事者性から始まるべきです。所詮他人事だから一方的に正義を主張できるのです。
投稿: 斉藤啓二 | 2005/11/06 02:23
斉藤さん
ありがとうございます。
ひき逃げはこの数年で倍増していますが、これは飲酒運転が厳しくないためだと私は思っています。
たしかに罰則は厳しくなりましたが、あくまでもある範囲の中での話です。そこを指摘したつもりですが、舌足らずでした。発想を変えないといけないのだと思います。
それから「法」と「正義」は別の次元のものだと考えています。
「一方的な正義の主張は官僚や政治家の主観と同じく他の問題を引き起こす」
「当事者性から始まる」
というのは、全く同感です。
私のホームページやブログで書いていることは、すべてそれをベースにしているつもりです。なかなかうまくいきませんが。
それに私の文章は常に断定的で主観的ですから、正義には程遠い話かもしれません。
どこかに書きましたが、小泉首相と同じレベルかもしれません。影響力が桁違いに少ない、あるいは無いのが救いですが。
投稿: 佐藤修 | 2005/11/06 09:08