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2005/11/24

■子どもたちの事件と大きな福祉

子どもが被害にあう事件が相変わらず多いです。
子どもが起こす事件もまた、子どもが被害者であるといえるでしょう。
社会のひずみが様々な形で、無防備な存在に向けられているのは社会が病んでいる証拠です。

私はいま、「大きな福祉」を理念に掲げたコムケア活動と言うのに取り組んでいます。
コムケアはコミュニティケアの略ですが、一般に使われている意味とは違った意味を与えています。重荷を分かち合う関係づくり、という意味です。そして、だれもが気持ちよく暮らせる社会の実現を「大きな福祉」と呼んでいます。
コムケアの考え方は一部、CWSコモンズのサイトに抜粋しています。
詳しくはコムケアセンターのホームページをご覧ください。
もし共感していただけたら、コムケアフェローになってください。

社会は3つのセクターで構成されていると思います。
公(パブリック)と私(プライベート)と共(コモンズ)です。
「共」は聞きなれない言葉かもしれませんが、「みんなのもの」と言うような意味です。
パブリックも「みんなのもの」ではないかと思われるかもしれませんが、
今のパブリック、つまり「公」は「お上」(官)です。
さらに、その「公」に対応する「私」は、日本の場合、「民」と捉えてもいいでしょう。
そしてこれまでは、社会の主軸が、この「公」と「私」だったのです。
これは垂直構造です。
その二元論の中で、「官から民へ」へという発想が出てきます。
そこに大きな落とし穴があります。
これに関しては以前も一度少し書きました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2005/08/post_290f.html

公と共は、似て非なるものです。
私たちの生活に立脚し、「個人から発想」していくと、その主な舞台は「共」、コモンズになると私は考えています。
元気な社会には、しっかりしたコモンズがあります。
そして、その根底には大きなコモンズとしての大地や自然があります。
ところがこの数十年、私たちは「公」と「私」の世界を拡大し続けてきました。
大きな政府と企業社会の時代にしてしまったのです。
それがすべて悪かったわけではなく、それによって私たちが得たものはたくさんあります。
しかし失ったものも少なくありません。
そしておそらく今や、得失が逆転したのです。
コモンズは、根底にある自然も含めて痩せ衰えました。
つまり社会は極めて不安定な構造になったのです。様々な活動を支え、つないでいく土台が壊れだしたのです。

話が大きくなりましたが、
私はそれがいまの社会の最大の問題だと思っています。
それが、独居老人を不幸にし、働き盛りの人の精神の病を起こし、子どもたちを被害者にしている。つまり社会の荒廃を引き起こしているのです。すべての問題はつながっています。
福祉や安全に関わるさまざまな個別問題を、個別問題として解決していくことだけでは限界があるのではないか。それが「大きな福祉」に取り組んでいる動機です。

子どもたちの痛ましい事件の原因は、私たちの生き方にあるように思います。
社会のあり方、つまり人と人の付き合い方が問題なのであろうと思います。
その出発点は、きっと家族です。そして隣人であり、同僚です。
やれることはたくさんあるように思います。

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