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2005/12/13

■悪循環を育てる近視眼的対策

朝日新聞の夕刊の記事です。
見出しは「小学生殺害事件続き「防犯講話」様変わり」です。
栃木県県警は県内の全小学校で防犯講話を開いているそうですが、その内容の一つに、「人を信じては身を守れない」と言うのがあるようです。「知らない人に道を聞かれたら、すぐに逃げなさい」と言う呼びかけもされているとのことです。

どこかおかしいように思います。
自らの責任を放棄し、仕組み自体を放置し、問題の発生を回避しようとしている姿勢です。人の信頼関係を壊すように仕向けていくことは、まさにソーシャル・キャピタルを壊すことでもあります。第一、こんな呼びかけで問題は回避されるでしょうか。ばかげた話だと私は思います。
むしろ人を信じて、問題が起こりそうな気配があれば、近くの人に声を掛けていくことが大事ですし、逃げるような状況に子どもたちを置かないように考えるのが警察の、そして大人の仕事ではないでしょうか。
栃木ではますます事件が増えるのではないかと危惧します。
少しは自らの責任を果たしてほしいです。
大切なのは、警察に対する信頼感であり、子どもたちにしっかりと目が行く社会の仕組みづくりです。

こうした近視眼的対応がいたるところで増えています
それがますますソーシャル・キャピタルを壊し、社会を不安定にしています。
そうした悪循環を断ち切ることが必要です。
その出発点は、人を信ずることです。
信ずることができる仕組みを作ることです。
たとえば、プライバシー保護の名目で、責任をとるべき人がみんな責任を取らなくなってきています。そのために、ソーシャル・キャピタルが地域社会からどんどん失われているように思います。

まあそういう流れをいくら嘆いても仕方がありません。国民のほとんどが、どうもそれを望んでいるようですから。
しかし、私はこれからも必要があれば、子どもにも道を尋ね、知らない子どもにも目配りし、人を信ずることの大切さをできるだけ多くの人に伝えていきたいと思います。

人を信じない人が増えて誰が喜ぶか、その答えをぜひ考えてみてほしいです。

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