■裁かれる当事者と権力との距離で判断は決まるのでしょうか
昨日の新聞に2つの事件報道が出ていました。
東京地検特捜部が再捜査していた橋本元首相や山崎拓前副総裁らの献金隠し事件はまた不起訴処分になりました。司法の動きに若干の期待をしていましたが、やはりうやむやになりそうです。中小企業の経営者には厳しく立ち向かえても権力者には立ち向かえないのでしょうか。
それに比べて、立川ビラまき事件の控訴審はあまりの厳しさに驚きました。以前にも問題提起しましたが、東京都立川市の防衛庁宿舎で、自衛隊のイラク派遣に反対するビラをまいて住居侵入罪に問われた「ビラ配りで逮捕」事件です。控訴審は、無罪だった一審判決を破棄した逆転有罪判決でした。
驚いてしまいました。新聞記事をお読みください。
http://www.asahi.com/national/update/1209/TKY200512090171.html
検察と裁判官の話ですので、それぞれは別の動きと思いがちですが、「つながっている話」です。
裁かれる当事者と権力との距離によって、対応が違ってくる司法のシステムは、いまや見直される時期にきています。司法界の人たちは意識を変えてほしいです。
これはまた、耐震偽装事件と同じ話です。
社会の仕組みや経済の仕組みが問題となっているのです。
検査しない検査機関、判断しない裁判制度。
不正確な表現ですが、手続きが間違っていなかれば、それでいいわけで、当事者能力のない人が検査をし、裁判をしているとしか思えません。
そして、問題が起きたら、仕組みを考えます。公開度を高め、形式的には誰でもがチェックできるようにし、屋上屋を重ねる評価の仕組みを作ります。裁判員制度もその一つです。問題はそんなところにはありません。
みずほ証券の事件もこうしたことにつながっています。
問題の本質はどこにあるかを、そろそろ考えるべき時期にきています。
それにしても、日常感覚に合わない司法の実態を、法曹界の人たちは、少し謙虚に考えてほしいと思います。ここでも「無知のベール」論を前提にしてほしいものです。そうなれば、被害者よりも加害者の人権を重視するなどといった、馬鹿な発想は出てこないはずですし、裁判員制度が司法の権威を回復するなどという無責任な発想はなくなるでしょう。
彼らは決して特権階級ではないのです。裁くことの淵源は、権力ではなく社会から付託された役割なのです。勘違いしてほしくありません。
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