« ■チームで相談できる試験制度 | トップページ | ■信頼しないことから発生するコスト »

2005/12/01

■ソーシャル・キャピタルと経済成長

社会にとって一番大切なもの、みんなが暮らしやすくなるために大切なもの、つまりソーシャル・キャピタルは、かつては道路やダムのような公共施設でした。そのためそうした分野に税金が投入されました。いわゆる公共投資です。
しかし、施設的な基盤が整備されると、重点はハードからソフトへと移ります。最近ではソーシャル・キャピタルと言えば、人間の絆や信頼関係を意味するようになってきました。公共投資の対象も、当然、絆や信頼関係を育てるために投入するべきでしょう。
しかし、現実にはなかなかそうはなりません。これまでの「ハード発想の経済システム」が影響しているのかもしれません。
ハードの経済学とソフトの経済学は基本的に違うはずです。

ニューエコノミーは、IT分野のようにソフトを重点にして動き出していますが、その根底にあるのはやはりハード発想です。ややこしい言い方ですが、ソフトのハード化が進められています。「管理化」といってもいいかもしれません。
情報は管理できますが、人の絆や信頼関係は管理できません。それを管理しようとすると莫大な費用がかかります。そのためにIT関連企業は巨額な利益を上げられるわけです。もともと管理できないにもかかわらず、です。管理できない分野ですから、費用は底なしにかかります。そして、ここがポイントですが、そこにもまた「産業のジレンマ」が発生します。
典型的なのは、パソコンウィルスです。ウィルスは、防止ソフト会社が自分たちで創っているのではないかという冗談がありますが、それはあながち否定できません。もちろん直接的にはそんなことはないでしょうが、大きな枠組みとしては、ウィルスを作る人がいなければ、防止ソフトは成り立ちません。
こうしたジレンマをうまく活用している産業が今では巨額な利益を上げています。金融業界もその一つです。そうした産業は、本質的な価値を持っていませんので、やりがいはないでしょうから、ますます金銭欲を高める構造にあります。

改めてこんなことを書いたのは、姉歯設計事務所事件の展開を見ていて、まさにソーシャル・キャピタルが産業のジレンマに悪用されていることを感じたからです。
数段階のチェック機関がありながら、検査には誰も責任を持たないままに動いている仕組みの典型です。ベースに「信頼」があったはずですが、それがジレンマを内蔵する産業システムの中で、利益の源泉にされてしまったのです。

信頼関係というソーシャル・キャピタルがしっかりと存在する社会では、検査の意味合いは全く違ったものになります。管理型の検査ではなく、支援型の検査になるからです。しかし、そうした社会では、経済成長率は高まらないかもしれません。警備保障ビジネスも、認定保証ビジネスなど、成り立たなくなる産業はたくさんあるでしょう。家事の産業化も進まずに、経済成長率や税金による財政拡大も押さえ込まれるでしょう。産業の視点からは好まれないかもしれません。しかし、暮らしの視点で考えれば、答えは明確です。
経済成長の発想を問い直さなければいけません。

昔、坂本慶一さん(京大教授)の本で、「死に至る」産業である工業化ではなく「生を目指す」産業である本来の農業に戻るべきだという主張を読んでから、私の産業に対する評価は一変しました。産業の目的は「私たちの暮らし」です。
ソーシャル・キャピタルは、管理のためか、生存のためかで、全く意味合いが変ってきます。同じように、経済成長の意味も目的によっては全く変ってきます。

ハードからソフトへの移行の道順がたぶん間違っているのです。

|

« ■チームで相談できる試験制度 | トップページ | ■信頼しないことから発生するコスト »

経済時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■チームで相談できる試験制度 | トップページ | ■信頼しないことから発生するコスト »