■農業は殺生行
日本古来の農業には害虫はいなかったという話を昨日書きましたが、今日はその農業の話です。
我が家もささやかな家庭農園をやっています。農薬などは使わずに、まさに虫に食べられた穴だらけの野菜を収穫しています。
自宅のすぐ近くの空き地が我が家の農場です。女房が中心で、私はその手伝い人です。
キャベツや白菜もつくっていますが、ともかく虫に良く食べられます。
そのため行くたびに葉っぱについている虫を見つけて殺さなければいけません。最初は抵抗があり、虫を見つけて袋に入れて、ごみと一緒に出していましたが、結局、彼らは殺されるわけですから、今はその場で殺して土に埋めるのです。かなり残酷な作業です。いつも、農業は殺生行だと思いながら、虫に詫びながらつぶしています。
エジプトに行った時に、鳩料理が出されました。私は食べることができずにパスしました。今でも魚の活き造りが不得手ですが、そんなこともあって私は野菜が一番好きです。肉はどうも抵抗があり、魚は顔があると食べにくいです。
しかし、野菜もまた多くの殺生の上にあるのです。野菜作りをしていて、それを実感します。自分自身の身勝手さと表層的な自己満足に少し嫌悪感を持ちます。
できれば虫を直接殺さないですむように、殺虫剤や除虫剤を使いたいと思うほどです。それらは自然を壊し、もっと多くの生命を抹殺してしまうわけですが、直接手で殺すのではないので、精神的には苦痛を感じないですみます。これが「曲者」なのですが。
こういう形で、私たちは殺生を見えないところに追いやってしまっているのでしょうね。
こうしたひ弱な生き方が問題を発生させているのかもしれません。
「賢治の学校」を始めた鳥山敏子さんは、小学校でニワトリを飼い、それを子どもたちと一緒に料理して食べるという過激な教育をされた方ですが、そうしたことでこそ、生命の大切さや意味が伝わるのかもしれません。鳥山さんをパネリストにしたパネルディスカッションをやったことがありますが、実に刺激的でした。頭では理解できるのですが、私にはできないでしょう。
今日、子育ち関係のフォーラムがあったのですが、パネリストが最近の子どもたちはケンタッキーフライドチキンは樹になっているものだと思っているのではなかろうかと冗談で話していましたが、まんざら冗談ともいえないかもしれません。私も、できればそう思いたいです。
私たちの生活は数々の生命の犠牲の上に成り立っています。
この頃、改めてそう思います。
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コメント
「日本の建築の考え方」の方にコメントしておきましたので、そちらの方をご覧ください。
投稿: rekishi-huukei | 2005/12/19 23:36
こんばんは。
農林試験所の仕事をしている友人が農作業の大変さを教えてくれました。
そのたいへんさを経験したら大根1本でもへたさえ捨てる気にはならない、と言います。
本当に、命の糧となる食材がどこからどうやってきているのか、もっと身近に感じられる暮らしであってほしいです。
以前にブログにも書いたのですが、野菜も工場製造が増えてきて、それこそ虫もつかず洗う必要もないそうです。
子どもたちが"命"を感じにくいのは当然なのでしょうね。
投稿: hana | 2005/12/24 00:47
hanaさん
ありがとうございます。
私もわずかばかりの野菜作りをしています。
前にピーナッツのことも書きましたが、
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2005/11/post_1a89.html
大根1本どころか、葉っぱも捨てられない気分になりますね。
私の友人夫婦が大分県に転居し農業に取り組んでいます。その夫婦から毎年1年間の報告が届くのですが、それを読んでいると私たちの生活の原点を思い出します。
http://homepage2.nifty.com/CWS/katsudoukiroku05.htm#1202
食べ物への感謝の気持ちが自然と生まれるような社会は、もうすっかり昔の話になってしまったのかもしれません。
サイト、1か月ぶりに読ませてもらいました。
ますます面白いですね。
hanaさんが言及している記事も読みました。
皆さんもぜひお読みください。
http://fairytale.way-nifty.com/hana/2005/11/post_7b88.html
ありがとうございました。
投稿: 佐藤修 | 2005/12/24 07:55
拙サイトをご紹介頂きありがとうございました。
ピーナッツのエントリー記事も記憶に残っています。友は黒豆のさや剥きで同じようなことを語ってくれました。
本当に、米一粒、豆一粒に感謝する暮らしを少しずつでも取り戻していこうと思います。
投稿: hana | 2005/12/25 00:01