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2005/12/09

■稼ぐことと儲けることの分離

風邪でダウンしてしまいました。
まだ咳が抜けず、微熱が残っていますが、少し元気になったので再開します。

今日の新聞のトップは1円で61万株を売りに出してしまったみずほ証券の話です。
これだけ大きな事件はそうはないでしょうが、これに類する話はきっとたくさんあるのでしょうね。それにしてもたった3分の間に、これだけの動きが起こり、300億円もの現金が動くと言うことを知ると、なにやらまじめに働いてお金を稼ぐということがむなしくなります。一瞬にして500万円の利益を得た人は、それ以上儲けることを躊躇したと言うことですが、その気持ちもわかるような気がします。
まじめに働いて稼ぐ場合とはまったく別の論理が働いているわけですが、こうして得たお金と汗をかきながら稼いだお金が、同じものであるところに大きな問題がありそうです。

ところで、みずほ証券は300億円以上の損をしたわけですが、言い方を変えると300億円の利益を得た人がいたわけです。耐震偽装事件被害者の支援として議論されている金額が80億円ですが、その4倍の金額がわずか3分で発生するというわけです。
どう考えてみてもこれはおかしな話です。

汗をかいて稼いだお金と汗をかかずに儲けたお金は、たぶん単位が違うのですが、それらがどこかでつながっているところに問題があります。
耐震偽装事件でいえば、最終ユーザーのマンション購入者の財布は、汗をかきながら稼いだお金ですから、発想の単位はきっと数百円の積み重ねです。しかし、作り手側の建設業者やコンサルタント料をもらっていた総合経営研究所などの金銭感覚はきっと数千万円単位だったのでしょう。稼ぐという感覚ではなく、儲けるという感覚でしょう。ふたつの世界は同じ「日銀券」を使っていても、実は尺度も論理も違うというべきです。

その違う世界をつなぐのが、「大量消費型市場システム」です。それはかつてのように、商店を舞台にした顔の見える人間的な規模での市場とは似て非なるものです。そこでは全く別の論理が働き出します。つまり一瞬にして300億円が動く世界です。テレビを媒体にした市場もそうですが、この「大量消費型市場システム」のおかげで、スポーツ選手や芸能タレント族が巨額な利益を得ることが可能になりました。その仕組みに乗っていない、芸術家や学者は今もって生活者の経済システムの中にいますが、その格差は桁違いで、大量消費型市場システムの乗った「仲間」とは全く違った世界で暮らしているわけです。

問題は、本来であれば、別の論理で動いているはずの二つの経済スキームが安直につながってしまっていることです。そこのつながりのところで、暴利をむさぼっている人もいれば、しわ寄せを受けている人もいるわけです。
まさにカジノ資本主義や実体のない金融経済がはびこっています。真面目に汗して働く人たちの世界は、金額的には主流の座から引き下ろされつつあるのかもしれません。

経世済民という、経済の原点はもう遠い昔になりました。

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