■理念と現実が違ったらどうするか
みのもんたのクイズ番組に数名の国会議員が出ていて、みのもんたの問いかけで、憲法改定についての議論を始めました。
その発言の無責任さに驚きましたが、ひどい議論です。
こういう議論が政治の大衆化の中で安直に語られているのでしょうか。
こういうタレント志向の強い国会議員にはぜひ早く退場してほしいと思います。
彼らと今回の耐震偽装に関わっている国会議員とは同類のように思います。
少しは真面目に仕事をしてほしいものです。
テレビに出るのであれば、もう少し真面目に対応してほしいです。
無責任なタレントに迎合するために公費が払われているわけではないのですから。
ところで私が常々思っていることですが、
憲法と現実が食い違うことについての考え方はもう少し論理的に考えるべきです。
たとえば、自衛隊に関する対応ですが、
憲法と現実が食い違っているから現実に合わせて憲法を改正するべきだという議論があります。
これはしかし成立しない論理です。
憲法は理念であり、基準です。
現実が違っていたら正すのは現実です。
憲法と違う現実を創りだしたのは統治者の違憲行為の結果ですから、内閣は罰せられるべきです。
軽い法律でも違反すれば罰せられますが、
憲法に違反しても罰せられないのであれば、法治国家とは言えず、
憲法の下にある法律に違反した人を罰する根拠を失うはずです。
根本の法律に違反している権力体制が、その下にある法律違反者を罰する正当性は持ち得ないはずです。
論理的に考えれば、犯罪者が裁くのは正しい行為ということになります。
事実そういう話はいくらでもあります。
今の日本に、です。刑事事件の冤罪だけが問題なのではありません。
私が、日本の司法が腐っていると思う理由がそこにあります。
憲法の話に戻れば、
憲法に合わない現実に憲法を合わせる行為は「改正」ではなく「改悪」と言うべきでしょう。
もし改正するのであれば、ビジョンと価値論から議論するべきです。
現実から発想するのが今の憲法改定論者の姿勢です。
つまりノーロングタームの発想です。
あるいは脱価値論の手続き発想です。
こうした近視眼的で脱価値論的な発想はいたるところに感じられます。
例えば、男女共同参画ですが、なぜか女性も深夜労働ができるようになったようです。
もし条件の違いがあれば、望ましいほうに揃えるべきだと思いますが、
なぜか望ましくないほうに揃えるのが日本の社会です。
過労死は増えるのは当然かもしれません。
いやこの言い方は不正確です。
実際にはすべて望ましいほうに揃えられているのです。
ただ、誰にとって望ましいと判断するかが重要なのです。
その視座は、日本の場合、生活者や当事者にあることは少ないように思います。
働かせるものにとって望ましい方向、戦わせるものにとって望ましい方向、資産家にとって望ましい方向、であることが多いように思います。
悪貨は良貨を駆逐するのです。
変革とか改正とかいう言葉を使う人には注意したほうが良いようです。
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