■「市民から住民へ」
最近ボランティア活動に取り組んでいるご年配の女性の方がよく相談にきます。その人たちにとって、NPOとはなかなか理解しがたい存在のようです。
一方、今週、2人のNPOに関わっている人と話していて、異口同音にNPOの目線と敷居の高さが話題になりました。2人ともNPO活動にかなりしっかりと関わっている人たちです。
NPOって一体何なのか、最近私はますますわからなくなってきています。
NPOと言う言葉がやはり良くないですね。これは金銭市場主義の世界の言葉のような気がします。利益を分類基準にする段階でまず間違っています。
そういえば、日本ではボランティアが無償行為と認識されていました。今もなお、そういう意識は払拭されていません。ボランティアなどと言う言葉は行為者が軽々に使う言葉ではないと思いますが、私にはとても嫌な言葉です。他の活動はボランティアではなく、強制されてか、あるいは金のためにやっているという意思表示なのですから。
NPOの目線の高さは「市民」発想だからかもしれません。
私が昔感激した言葉に「住民から市民へ」と言うのがありました。武蔵野市などで始まったまちづくりの基本姿勢です。
しかし、その後、社会の実相や現場に少し関わりながら、私はこの言葉に違和感を持ち出しました。市民発想の根底にある目線の高さに違和感を持ったのです。
今では「市民から住民へ」を私は標榜しています。
ですから、住民の意識を高めるとか市民意識を育てるなどと行政の人やまちづくりに関わる人が発現するとそれだけでその人を信頼できなくなるほどです。これに関しては、CWSコモンズでもこのブログでも何回も書いていますが。
制度としてのNPOが発展するのはいいことかもしれませんが、それで失われるものがあるようでとても気になります。どこかで私たちは間違っているのではないかという不安が拭えません。
その一方で、安直にNPOだとかコミュニティビジネスだとかいう風潮にも疑問があります。そう思う理由の一つは、NPOの中間組織や行政の市民活動支援関係の窓口の人とつきあっていて感ずるアマチュアリズムです。コミュニティビジネス支援を標榜しながら、コミュニティビジネスの何たるかはもちろん経営に関してもアマチュアの人が多すぎます。企業ですら通用しないメソッドを持ち込んで、NPO経営を研修で語っていることも少なくありません。相手は何も知らないことが多いですから、大学で何も知らない学生に教えている経営学者と同じくらいアマチュアでも通用してしまうのです。しかも、行政は評価能力がないので、丸投げです。その結果、次第に受講生が集まらなくなり、電話で集めることも良くあります。税金の無駄使いはともかく、その欺瞞性に腹が立ちます。
腹立ちついでにNPOに対する「もう一つの失望」を書きます。
私がとても高く評価している、そして社会に大きな風を起しているNPOのいくつかに関することです。
NPOの中心人物は活動が忙しくて、なかなか他の活動には関わる余裕がありません。そればかりか本当に忙しくて、過労死しかねない企業人と同じくらい睡眠時間や「生活」時間を減らしてがんばっています。ある時期はそれでも仕方がありませんが、そういう姿を見ていると、結局、いまの企業社会での生き方と同じではないかと思えてしまいます。いまの社会のあり方を変えていこうというビジョンで始めた活動であるはずが、いつの間にかその社会のあり方に馴染んでしまっているのです。残念でなりません。それはきっと彼らが当事者ではないからかもしれません。それでは話題は作れても、イノベーションは起こせません。
その人たちは忙しくてこのブログは見ていないでしょうから、いつか直接言わなければいけません。言っても伝わらないかもしれませんが。
社会を変えるのであれば、まず自らの生き方を変えなければいけません。
ちなみに私は忙しそうですが、実は忙しくありません。それにいたって自分の気分を大切にしています。今日もある委員会がありましたが、急に疲れを感じたので、欠席の連絡をして帰宅してしまいました。そして前から観たいと思っていた「夜盗風の中を走る」の映画をテレビで見てしまいました。40年ぶりです。実は今週中にやらなければいけない宿題がたくさんあるのですが、それよりも気分を大切にするのが私の生き方です。そういう意味では、私はいわゆるシニアニートかもしれません。実は今日の委員会はニートの委員会でした。はい。
関係者の方には読まれたくない書き込みですが、彼らもまたこうした無意味なブログは読まないので大丈夫でしょう。はい。
忙しくないため、また冗長な書き込みになりました。
すみません。
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コメント
ごぶさたしています。いろいろと具体的に展開できる書きこみなので、コメントさせてただきました。
住民が気軽に活動できる仕組みが大切なのだと思います。ただそれを実現するのに、管理者的発想が邪魔をしているような印象をもちます。
「市民活動」は管理された組織しか知らない人でもできるのでしょうが、「住民活動」は自営業者や女性が向いているというのが実感です。
コミュニティ活動の成果を報告書にまとめ、補助金をいただくという制度にも問題はないでしょうか、
具体例からいろいろ考えさせられます。
投稿: 手島幹雄 | 2005/12/23 09:26
手島さん
ありがとうございます。
実はこのブログを止めようと思ったことがあるのですが、そのときに手島さんのことを思い出して、結局、再開しました。
手島さんがこのブログを以前に評価してくださったことを思い出したからです。
最近はやや内向的になってきていますが、またそのうちに元気が出てくるでしょう。
今回のコメントですが、市民活動と住民活動の実感には私も共感します。
もしかしたら、「市民化」は「家畜化」かもしれませんね。ちょっときつい表現ではありますが。
ところで、今回の書き込みにある、
>コミュニティ活動の成果を報告書にまとめ、補助金をいただくという制度にも問題はないでしょうか、
というところを少し説明してくれませんか。
投稿: 佐藤修 | 2005/12/23 17:54
「NPOの目線」については、こんどゆっくりお話ししてください。
NPOという呼称には、僕も抵抗があります。こころの中では「市民活動」「民衆運動」と呼んでいます。
それにしても、「忙しい」ということばには、ホント打ちのめされます。
みなさん本当に「忙しい」ですよね。
投稿: shimoyama | 2005/12/28 09:49