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2006/01/19

■生きることの意味を時々考えると人生は変わるかもしれません

訃報が届きました。
コムケアの仲間です。病気のために身体の不自由さをかかえながら、さまざまな社会活動に取り組み、とても充実した人生を送っていた方です。
昨年末にも同じような方の訃報が届きました。彼女は今回も「奇跡」が起こって、また元気になることを祈っていました。「ともかく生きたい」というお手紙もいただきました。私も「奇跡」を確信していたのですが、叶わぬ願いになってしまいました。彼女が病院から送ってくれた講演録が私への最後のメッセージになりました。

お2人とも1~2度しかお会いしたことがありませんが、私が取り組んでいる「コムケア活動」に共感して仲間になってくださった方たちです。
お2人とも全力を挙げて生きていたように感じます。
生きることの意味をしっかりと実感していたからでしょう。
コムケア活動を通して、さまざまな問題に向き合っている人に出会いますが、みんな自らの生き方をとても大切にしています。

その「コムケア」仲間のひとつが、自殺のテーマに取り組んでいます。
生きたいと念じている人の立場から見れば、何で死んでしまうのかという思いが強いでしょう。生きることを真剣に考えた上での決断なのかもしれませんが、もしその人が一度でも「死」に直面したことがあれば、思いとどまったかもしれません。
意図せずにやってきた「死」と生きる選択肢の一つとしての「死」は、似て非なるものなのかもしれません。「自殺」と「自死」という言葉がありますが、二つの言葉は天と地ほどの開きがあるのかもしれません。
自殺の問題は社会のあり方を象徴しているのかもしれません。

「死」の問題を私たちはもっと自らの問題として考える必要があるように思います。
コムケアには、「死」を見据えた活動をしている仲間もたくさんあります。
「死」から始まるテーマに取り組んでいるグループもあります。
今日もそのグループの人からメールをもらいました。
「ななみちゃんを救う会」への協力要請をあるメーリングリストに投稿したことへのコメントです。
「死」から考えるか、「生」から考えるかで、同じ事象も全く変わってくるのです。
とても微妙な問題ですが、

訃報が来ると、いろいろと考えることが多いです。

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