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2006/01/09

■フレキシビリティという曲者

ある本からの引用文です。

フレキシブル資本主義とは、フレキシビリティ(弾力性、柔軟性)を最重視する、新しいシステムである。その下では、官僚主義の硬直した組織形態は、盲目的に慣例を守るだけの悪として糾弾され、労働者は機敏に行動し、言われたらすぐにも変化に対応できるように準備し、継続的にリスクをとるように求められ、規制や定められた手順に従うことを良しとする態度は改めなければならない。

出典は、「それでも新資本主義についていくか」(ダイヤモンド社 1999年)。
1998年にアメリカで出版された“ The Corrosion of Character ”の翻訳です。
この文章を読んで皆さんはどう思われますか。
共感する人もいるでしょう。私も共感しそうな文章です。

しかし、このフレキシビリティというのが曲者です。
同書によれば、フレキシビリティのもともとの意味は、
「一度、たわんで、そして元通りになるという、木の持つ2つの性質、試練に耐え、そして形を復元するという両面の能力」
を指していたそうです。
ところが現在の社会、特に経済社会の中心にある企業においては、フレキシビリティ優先の中で、基本までも壊した無定形な状況主義がはびこってしまったと著者はいいます。
そのためにそこで働く従業員たちは拠り所を失い、精神的にも不安定になっていきます。
私は日本の企業が価値観を失いだしてから、20~30年経過していると思いますが、しっかりした定見を持たずに状況に合わせてフレキシブルに対応することによって、企業は発展してきたように思います。
価値論議などは流行らないのです。
これは行政においても同じです。
評価などという動きが広がりましたが、ほとんど手段的な側面での評価です。
価値議論はいつも後ろに追いやられがちです。
そして、私たちの家庭においても、表層的なフレキシビリティ発想がはびこっています。
とても恥ずかしいのですが、我が家も例外ではありません。

今日は「成人の日」です。
私にはとても違和感があります。
かつては成人の日は1月15日でした。
いつの間にか、連休を増やそうという安直な議論の中で、第2月曜日になってしまったわけです。
「フレキシビリティ資本主義」の影響といってもいいでしょう。
日本の政治は経済が支配していますから、価値議論はあまり行われません。
ですから発想が転倒していることがよくあります。

柔軟な発想は大切なことです。
しかし、それはしっかりした基準があっての話です。
基準のない柔軟性は果たして柔軟性といえるのでしょうか。
たかが休日の話ですが、大げさに言えば、これは文化の破壊にもつながります。
生活の基準が、すべて功利性、利便性に置き換えられてしまっていいのでしょうか。
私たちが今直面しているさまざまな問題は、こうした安直な「フレキシビリティ発想」にあるのかもしれません。

今の日本の問題は、拠り所の喪失ではないかと思います。
しかもそれが、経済の視点から壊されているような気もします。
そして不幸なことですが、それがまた経済にも影響してくるはずです。
改めて、私たちの生活の拠り所やコミュニティの拠り所を考えてみることが大切だと思います。
国家が決めたカレンダーではなく、自然と歴史と文化が決めたカレンダーで生きるように、これからはもう少し意識しようと思います。

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