■初詣で何をお願いしましたか
私のオフィスは湯島天神の近くにあります。
今日は初出勤だったのですが、湯島天神にお参りする人でにぎわっていました。
新たな年を迎え、神にお参りする文化は根強く残っています。
私はこれこそが「信仰」であり、「宗教心」だと思いますが、そうした素朴な生活慣行はもっと大事にしたいという思いが歳とともに強くなってきています。
これまで、そうした文化をあまり大事にしてこなかったことを反省しますが、壊れたものを回復することはそう簡単なことではありません。せめてこれからは壊すことだけはやめようと思います。
ところで、今日、訪ねてきた人から、教会に行くと「地球の平和」とか「人類の幸せ」とか書いてあるが、日本の寺社では「家内安全」とか「商売繁盛」とか、個人へのご利益(ごりやく)が書かれていますね、といわれました。
たしかにそうですね。
「祈り」と「願い」の違いでしょうか。
日本の文化が内向的な現われだと、その人はいうのです。
私も昨年までは、神社ではついつい願い事をしがちでした。最後に、すべての人が気持ちよく暮らせますように、と祈りも付け足しますが、その前にたくさんの頼み事をしてしまいます。ひどい時には宝くじが当たりますように、などと無理難題まで要求します。
祈りと願い。
あまり違わないのではないかという気もしますが、全く違うような気もします。
オフィスの下の道をぞろぞろと湯島天神にお参りに行く人たちは、みんな何を祈願してくるのだろうかと気になった1日でした。
みなさんは初詣で、祈りましたか。願いましたか。
私は、やはり願いに重点があったような気がします。
宝くじ当選は頼みませんでしたが。
でもこれからは祈りにしようと思います。
日本でもつい最近まで、祈りの文化があったような気がしてきました。
神社に行かなくても、祈りはどこでもできます。
生活に祈りを入れる。
神社に行った時だけでないということです。
これを今年の決め事のひとつにしました。
多くの人々の祈りが歴史を変えるかもしれませんから。
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