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2006/01/31

■年齢って何で必要なのでしょうか

昨日からの続きです。
ボビーの年齢詐称の話から、何で「年齢」などというものが必要なのだろうかということに気づきました。
私は人の年齢をほとんど見分けられない人間です。
みんなほぼ同じように見えてしまうのです。
それに最近は自らの年齢にもあまり意識がなく、時に忘れがちです。
年齢を自覚する必要がないからかもしれません。
年齢は誰のために必要なのでしょうか。
社会秩序維持のためでしょうか。
何歳になったら学校に入学とか、成人式だとか、選挙権がもらえるとか、飲酒が許されるとか、まあいろいろありますが、これってどこかおかしいような気がします。
人の育ちはさまざまですから、物理的な時間によって人の生活を規定していくのはどこかに無理があるのではないでしょうか。
60歳になったから定年で会社を辞めるという仕組みもどう考えてもおかしいように思います。
年齢がなくなれば、結婚適齢期もなくなりますし、就職における差別もなくなります。年齢を口実にした解雇もなくなるでしょうし、多世代交流もやりやすくなるでしょう。
逆に年齢制度がなくなって、本人にとって困ることはあるでしょうか。
私にはあまり思いつきません。
人間が素直に生きられなくなったのは、年齢制度を導入したからではないか、などと思うのは荒唐無稽でしょうか。
ますます年齢から解放された生き方をしようと思います。

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コメント

佐藤さんこんにちは。
年齢は・・・別に必要ないですね。

ただ、年齢くらいしか誇るものがない人には、寂しくなるのでは。

というわけで、「ゆとり教育」が高所得層にあまり影響を与えず、低所得層の教育にダメージを与えたように、年齢表記は、「そんなものなくても自分らしさがあるから大丈夫」と言う人には関係がないものですが、逆にそういったものがない人には、なくなるとつらいものなのでは。

キャリアやスキルを得るにはお金がかかりますが、年齢はタダ。

社会に流通している言説って、「大卒が当たり前」で書かれていて、それ以外の人のことが考えられていないのが最近気になります。

言論界で「いないもの」とされている人々。

投稿: shimoyama | 2006/02/01 14:18

Shimoyamaさん
ありがとうございます。
今回は「突っかかり」の返信です。はい。

>年齢くらいしか誇るものがない人
「年の功」には賛成します。しかし、その「年」は年齢である必要はないですね。
もし年に価値があるのであれば、年齢詐称を奨励するのはどうでしょうか。
誰も損をする人がいないのですから、みんなハッピーです。
年齢は勝手に自分で決めていいというようにするのがいいですね。

>「そんなものなくても自分らしさがあるから大丈夫」
その時の「自分らしさ」は誰から見た自分らしさでしょうか。
自分らしさと外部から見たその人らしさは必ずしも一致しないように思います。

>キャリアやスキルを得るにはお金がかかりますが、年齢はタダ。
いえいえ、年齢には1年分の生活費がかかりますから、キャリアやスキルを得る以上の金がかかります。
それに、お金で得たキャリアやスキルなどは生活から得るキャリアやスキルに比べればささやかなものでしかないと思います。

>「大卒が当たり前」
であれば、大卒にことさらの価値はないのではないでしょうか。
学歴も詐称を奨励するのはどうでしょうか。
まあ詐称は良くないですが、その大学の構内に入ったら入学とし、門を出たら退学としたらどうでしょう。
コムケアのオフィス近くに東大があるので、暇の時に構内を散歩したら、「東大入学・途中退学」と称していいことにしたらどうでしょうか。
誰か迷惑しますかね。

社会の罠に陥ってはいけない、というのが私の信条のひとつです。

投稿: 佐藤修 | 2006/02/01 14:52

佐藤様


お返事ありがとうございます。

「学歴詐称の奨励」「東大入学・途中退学」、笑ってしまいました。最高ですね。

ただ、僕が言ったのは、そういう意味ではなく、世に出ている言説のかなりの割合が大卒以上の人が書いたもの話たことになっていて、さらにそのことが意識化されていないという問題です。
人間は所詮自分を基準にしかものを考えられないので、違った立場の人のことを忘れがち。

学校教育でも、拘束を強める風潮と自由を尊重する風潮が交互に流行りますが、所得の高い層の子どもにはどちらでもあまり影響がなく、そうでない層の子どもに多大な影響(主にマイナスですが)が出ます。

つづきはまた。

投稿: shimoyama | 2006/02/02 08:01

真意、今度はかなり理解しました。
はい。

同感です。

確かに、
>世に出ている言説のかなりの割合が大卒以上の人が書いたもの
だと思います。
だからこそ真実に迫るものはほとんどないわけですが、
それらとは別の次元での人のつながりをどう回復するかが課題ですね。

いい知恵はないでしょうか。

投稿: 佐藤修 | 2006/02/02 13:58

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