■幸せな人生と幸せな時代
秋山岩生さんは42歳で病に倒れ、そのために身体と言語に障害が残ってしまいました。それが契機になって、障害を持つ人たちの働く場づくりに取り組む「ふぁっとえばー」を立ち上げ、精力的に活動しています。その活動振りなどはCWSコモンズで時々報告していますが、ご存じない方は、ふぁっとえばーの紹介をぜひお読みください。
今日は、その秋山さんが相談に来てくれました。房総半島の突端の館山からですので、結構大変なのですが、秋山さんのすごさはフットワークのいいことです。
その秋山さんが、病気になったおかげでたくさんの気づきがあった。病気の前と後では、間違いなく後の人生が自分には幸せだ、としみじみと話しました。とても共感できます。
私はまだ大病をしていませんが、会社を辞めたときにたくさんの気づきがありました、そして女房の病気でまた、たくさんの気づきをもらいました。人は、自らの環境が大きく変わることで学ぶものだと知りました。
秋山さんは、もし明日死んだとしても、私はとても幸せな人生を送ったと思いながら死ねると思いますというのです。秋山さんの充実した生き方が伝わってきます。
ひるがえって私はどうでしょうか。
秋山さんほどの自信はありません。
しかし、私にとっては2度の人生の変化で、生きることへの姿勢はかなり変わったように思います。
会社を離れて感じたのは、お金は目的ではなく手段だという、当然の気づきでした。女房の病気で学んだのは、当事者にはなれないという、これまた当然の気づきでした。頭での理解と体験を通しての実感とはかなり違うものでした。
そして、それらを通して、生き方は少し変わりました。生きることを大切にするようになったと言ってもいいかもしれません。秋山さんの心境にはまだ達していませんが、少しは近づいているような気がします。
人はそうした事件、往々にしてそれまでの考えからすれば、「不幸な事件」に出会うことで、生き方を考える契機を与えられます。もしその前から同じ考えで行動することができれば、きっと全く違う人生になるでしょう。秋山さんも病気になる前は企業を経営していましたが、企業の経営戦略も秋山さんの働き方も違ったものになっていたかもしれません。しかし、それはなかなか難しいことです。
京都で13年間、コンビニエンスストアを経営してきた知人がいます。その人からメールが来ました。昨年の大晦日で会社経営に幕を閉じて、これからはコーチング活動で、「人々のしあわせを願い自分を活かし続けていたい」と決意されたそうです。この人、戸田紳司さんといいますが、戸田さんは会社経営時代から若者の相談相手になったり、社会活動にも熱心に取り組んだりしてきた方です。コムケアの集まりにも参加してくださったことがあります。
戸田さんは「これからはライフワークを楽しみながら 上質な生き方をしていきたい」といいます。戸田さんらしい決断です。
時代は大きな袋小路にありますが、こうした人たちが増えてくることで袋小路は新しい地平へと進化するのでしょう。
「不幸な事件」がなくても、生き方を変える人が増えていることは、もしかしたら、今が不幸な時代だからかもしれません。
でも、夜明けまでもうすぐなのかもしれません。
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