■議論の目的は勝敗ではなく、共創です
オウム事件の松本被告の訴訟能力が弁護側から問題にされ、裁判が止まっていましたが、半年間の調査の結果、訴訟能力が認められて、また裁判が再開されるようです。
こうした事件が時々起こりますが、この場合の「弁護」とは一体何なのでしょうか。
こんなことをやっていたら、裁判における弁護の意味がおかしくなるような気がします。
永田議員の堀江メールにまつわる民主党と自民党の議論もひどい話です。
国政調査権を認めるかどうかの問題ではなく、政治の権威のためには、一刻も早い真偽の確認に向けて両党がもっと協力することがなぜできないのでしょうか。
その気になれば、すぐ判明することでしょう。ばかげた話です。
いずれもあまり適切な事例ではないような気もしますが、議論の目的は相手を負かすことではありません。議論を通して、より好ましい状況を創りだしていくことです。
しかしなぜか日本での議論は勝敗に焦点が行きがちです。
勝敗を目指す争いはどういう結果になろうとも、双方にとってマイナスをもたらすと思います。
その最たるものが戦争でしょう。
戦争で平和がもたらせるはずはないのですが、
なぜか多くの人は戦争こそが平和をもたらすと考えます。
私の友人たちもそう考えている人が多いようです。
そんな馬鹿なはずがありません。
そうやってもたらされた「平和」は戦争のひとつの状況でしかありません。
では議論の目的は何でしょうか。
それは「共創」、つまり違った事実や論理をぶつけ合うことによって、新しい価値を創りだすことです。
私はそう考えています。
裁判における検事と弁護士の議論は、違った立場からの事実と論理と意見を交換しながら、双方および社会にとって、より納得性の高い判断を得るためのものではないかと思います。
王権国家における弱いものを守る時代の裁判とは基本的に違うのです。
国会における議論は、これも違った立場からの事実と論理をぶつけ合いながら、より納得できる真実を明らかにし、社会の不都合を正していくための共創活動であるべきでしょう。
党利党略のために国会での議論があるわけではありません。
こうしたことは国家間の議論にも当てはまります。
イランの核開発問題の議論はやはりフェアではないように思いますし、北朝鮮との拉致問題の交渉は議論にもなっていません。
議論といえないような、似非議論が多すぎる時代になってきました。
にも関わらず、そうしたことが横行し、蔓延しているのは、それで得をする人がいるからでしょう。
それにしても、どうしてこうもみんな勝敗にこだわるのでしょうか。
爆笑問題の太田さんが、昨日、テレビで、オリンピックでメダルが取れるとか取れないとかどうでもいいではないか、選手のプレーをみているとそれだけで感動する、それでいいじゃないかといっていました。
同感です。
メダルなどは瑣末な話です。
勝敗意識を煽るマスメディアには乗りたくないものです。
もちろんオリンピックに限った話ではありません。
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コメント
同感です。
ひょっとしらた日本だけではないのかもしれませんが、他人をおとしめる発言はしても、建設的な意見を出さない人をよくみかけます。
もちろん逆に、建設的な意見も出しているのに、おとしめる発言もしてしまうので後者ばかりが目につき、前者が埋もれてしまうというケースもしばしば…。
まったくもってもったいないなぁと思います。
投稿: おおむら | 2006/02/20 23:11
「言葉」に過剰反応してしまい、その事を言う事によって、その人が何を伝えたいのかを知る前に逃げてしまう自分としては、非常に耳の痛い話です。議論の作法を知らないとか、喋る時の作法を知らないとか、慣れていないとか以前の問題だと私は思います。相手への信頼感の無さ、自分への信頼感のなさのような気がします。ある一つの言葉を喋る事ですぐ関係性が切れてしまう、とか、傷つきやすい「自分」を守るために、過敏になりすぎて、致命的な発言をさけ、当たり障りのない事しか言えない、とか。(もちろん、「傷つきやすい」は一種の幻想なのですが) ・・・・そこらへんの不信感が、過剰な攻撃性・過剰な距離感の無さ、甘え加減、結論を極端に急いで出そうとする節操のなさ、の病理に通じている様にも思えるのです。(だからと言って、すぐに治せるわけでもなく、なのですが・・。)・・かなり、説明不足ですよね・・・
投稿: 小岩 | 2006/02/23 20:10
おおむらさん
小岩さん
コメント、ありがとうございます。
まず、おおむらさん
もしかしたら、私のこのブログも、
人を貶めるだけになっていることがあるかもしれませんね。
ハッとしました。
そうならないように注意します。
ありがとうございました。
そして小岩さん
小岩さんの言いたいことは伝わってきます。
私もたぶんにそういう傾向があります。
そしてたぶん、小岩さんがいうように、
不信感が出発点にあるのかもしれません。
私がだれかを貶める発言をしてしまうときには、大体において不信感が動機ですね。
私自身は、誰をも信頼したいという思いをそれなりに持っている人間なのですが、相手が権力者だったりするとどうも素直になれないのです。
反省しなければいけません。
お2人のコメントから、
しっかりと考える刺激をもらいました。
ありがとうございました。
感謝しています。
またぜひコメントしてください。
投稿: 佐藤修 | 2006/02/23 22:31