■規律は守ったが、弱いものを守らなかった
何回観ても涙が出てしまう映画があります。
「ア・フュー・グッドメン」(1992年)です。トム・クルーズとジャック・ニコルソンの裁判ものです。
キューバの米海軍基地内で1人の海兵隊員が殺害され、容疑者として2人の優等兵が起訴された。若手弁護士キャフィは、この事件に海軍の暴力的制裁“コードR(レッド)”が絡んでいることを突き止める。しかし、相手は実力者の基地総司令官ジェセップ大佐。法廷で戦うことは勝ち目がなく、被告のためにも司法取引で処理しようという働きかけがあるが、真実をあくまでも主張する被告にほだされて、彼は巨大な権力に立ち向かうという話です。
詳しくはここをクリックしてください。
こう書いてしまうとよくある話なのですが、こういう話に私はめっぽう弱いのです。
古い映画ですが、毎年2回くらいDVDで観てしまいます。
気分が萎えた時に観ることが多いせいか、毎回、最後の場面で涙をこらえられなくなるのです。
私は頭では、軍隊そのものに異論がありますし、規律優先の文化に反発を感じるタイプなのですが、感覚的には軍隊の規律の正しさや敬礼のスタイルにはどこかに憧れがあるのです。
とても矛盾していますが、否定できない気持ちです。
ところで、この映画にはいくつかの価値観の対立構図があります。
まずは「現場」「現実」と「制度」「理念」です。
敵を前にして日々緊張を余儀なくされている、基地総司令官は現場を代表しています。
それに対してハーバード出身のエリート弁護士は理論と理念の人です。たたき上げのジェセップは知識だけの若手エリートがどうしても許せないようです。
普通なら私はジェセップに与しますが、現場の基地の中では、さらに現場は兵卒の世界ですから、兵卒を守るキャフィに共感を持ちます。
そして、ここでは実は「現場」と「トップ」はピラミッド構造ではなく、循環構造であることが示唆されています。
日本の経営学者の組織論には欠落している視点です。これこそがCIの神髄です。
「組織」と「個人」の軸もあります。
言うまでもなく、軍隊のルールは個人基点ではなく、組織起点です。
個人は組織のために存在しているというのが軍隊の基本です。
にもかかわらず、その世界で個人がいかに個人でありえるかの問題が提起されています。
実はこれに関連した発言が最後の直前にあるのですが、私はそこでいつも涙が出てくるのです。
無罪になったにもかかわらず、軍隊を不名誉除隊されたことに異議を申し立てる部下に対して、被告だったドーソンが次のように言うのです。
「軍の規律は守ったが、弱いものを守るということをしなかった」。
どうですか。感動するでしょう。
しないですって?やはり映画を観ないといけません。はい。
まあそれはそれとして、日本の企業にも、こうしたグッドメンはいるでしょうか。
「正義」の軸もあります。あえていえば、「正義」と「効率」あるいは「功利」の軸です。
「正義」という言葉にはいかがわしさが付き物ですが、私はこの言葉に奮い立つ人間なのです。
きっとどこかにその反応要素が埋め込まれているのです。
もっとも私の正義は、強いものに抗うという定義です。
ですから最後にキャフィが被告だったドーソンに「君は誇り高い男だ」と声をかけ、それに応じて、ドーソンがキャフィに、初めて「サー」と言って、最敬礼する最後の場面では、もし一人であれば嗚咽するほどに感動するのです。
どうも昨今の政治や経済に寂しさを感じます。
正義がなくなってきているのを強く感じます。
私もそうした流れの中で、家畜のような生活に向かっているような気がします。
そうならないように、今日はDVDで「ア・フュー・グッドメン」を観てしまったのです。
キャフィを見習いたいと思います。
彼のようになりたくて、大昔、私は法学部に入学したのですが、安逸な生活をむさぼってしまうようになっています。
この3週間、実にさまざまな人に会って、さまざまな刺激を受けました。
気を奮い立たせて、行動を起こさなければいけません。
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