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2006/02/13

■「時は金」ではありません

昨日の続きです。
谷和原村でのテントの中での話し合いの最後は、みんなの手作り料理とテントの真ん中にぶら下げられた鍋での料理です。
新鮮な野菜がふんだんに投げ込まれて、実に美味しい鍋でした。
メンバーがそれぞれ持ち寄った自慢の家庭料理も最高でした。
七味唐辛子も手作りです。
デザートも、柚子の黄金焼きや手作り羊羹と、いろいろ出てきました。
各種のお漬物も美味しかったです。窪田さんの人参の漬物も最高でした。
こういうところに来て、いつも思うのは食生活の豊かさです。
どんなに有名なグルメレストランも、こうしたところの食事に比べれば貧相なものに思えてなりません。
食の豊かさは文化の豊かさにつながります。
しかし、そうした食の豊かさは間違いなく失われてきています。
みんなでいろいろ話しながら、持ち寄りの食材や里山の山菜で鍋をつくり、自慢の家庭料理を交換し、それに合わせて、それぞれの生活を交換しながら、地域社会の共同意識を高めていく。
昔はどこでも行われていた風景だったでしょう。
そうしたことがしっかりと行われていれば、地域は豊かになっていくはずです。
食事はまさに人をつなぎ、生命をつなぐものです。
食材を育て収穫し調理し食する、そして最後には残滓をきれいに自然に戻していく。
この循環が生活を支え、文化を育ててきたのです。
しかし、昨今の食文化は残念ながら、自然や文化から切り離された、単なる食べ物になっています。
単なる食べ物であるならば、それは「餌」でしかありません。
ファーストフードは餌の文化です。食の文化ではありません。
谷和原にはまだ自然が残っています。
城山も少し整備するだけで、きのこや山菜がもっと戻ってくるでしょう。
しかし、山菜料理は手がかかります。
その採取も含めて、時間がなければ難しいでしょう。
スーパーで処理された食材を買ってきたほうが、間違いなく便利です。
いつか書きましたが、我が家もピーナッツを栽培しましたが、その殻剥きが大変でした。
食を豊かにしようとすれば、時間がかかるのです。
時間がかかるということは、いつの間にかお金がかかることになりました。
いつからこうなってしまったのでしょうか。
「時は金なり」ということを疑いもなく受け入れていた自分の愚かさに、私が気づいたのはつい最近です。
時は、決して金ではありません。
エンデは「モモ」でそのことを警告してくれましたが、一度、金銭市場主義の世界に入ると抜け出すのは難しいのも現実です。
家計費のなかで食生活にかかる費用の割合をエンゲル係数といい、エンゲル係数が低いほど豊かだと言われた時代がありました。今もまだそういう概念があるのかどうか知りませんが、食はやはり豊かさにとっての最高の指標だと思います。
しかし、基準にすべきは「金」ではなく、「時間」だと思います。
全生活時間に占める食関係の時間、もちろん食材づくりや話し合いの時間も含めてですが、食につながる時間の比率こそが豊かさの基準になるような気がします。
皆さんは食の時間にどのくらいの時間を割いていますか。
私は決して多くありません。反省しなければいけません。
谷和原村の人たちに学んで、今日から少しライフスタイルを変えようと思います。
料理にも時間を割く努力を始めようと思います。
これまで何回か挑戦して、いつも失敗しているのですが。

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