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2006/02/28

■帰属意識と当事者意識

一昨日のブログに榊原さんがコメントしてくれました。
そこに返事を書こうと思いましたが、気になるコメントでしたので、ここで取り上げさせてもらうことにしました。
榊原さん、ありがとうございました。

私が気になったのは、次のところです。

「僕の大きな悩みの1つが、会社や国家に対する帰属意識の薄さです。いつからかそうなってしまった自分があまり好きではありません。決してそうなりたいわけではないのですが、今ひとつ地に足がつかないような気がしているのです」

帰属意識の問題は、私が取り組んでいる「コモンズの回復」につながっている問題です。
私が会社に入った頃は、経営論の世界でも盛んに帰属意識が話題になりました。
昭和40年頃の話です。私はちょうど人事労務の仕事をしていましたから、とりわけ関心のあるテーマでした。
帰属意識。Belonging。構成員が組織にどれだけ強い帰属意識を持つかは組織の効率性に大きな影響を与えますから、帰属意識を高めるさまざまな制度が議論されました。愛社精神や愛国心が経営者や統治者の大きな関心事だったわけです。
また閉じ、並行してマズローの欲求5段階説が流行しましたが、そこでも帰属欲求が議論されていました。
組織と個人、双方にとって「帰属」は大きな意味を持っていたような気がします。
1980年代になると、組織のアイデンティティが話題になりだしました。そして1990年代には国家のアイデンティティも議論されだしました。
個人を考えるアイデンティティという言葉が組織にも転用されだしたわけです。
私は、このアイデンティティという言葉が契機になって、人生を変えてしまったわけですが、この言葉も今から振り返ると微妙に変化しています。
当初のアイデンティティ議論は、CI(コーポレート・アイデンティティ)という言葉に象徴されるように、組織のアイデンティティでした。しかし、次第にCIはメンバー一人ひとりのパーソナル・アイデンティティによって決まってくることが見えてきました。そして企業文化変革が話題になりだしたのです。
そして、identification という言葉が出てきたのです。
組織とアイデンティファイする、つまり一体感を強めるというような意味です。
このあたりは実に深い個人的思いがあるので冗長になってしまいますが、この頃から私は自らの生き方を自覚できるようになったのです。そして会社を辞めてしまったわけです。
Belongingとidentification。
英語は不得手なのですが、かなりニュアンスが違うように思います。
私の勝手な解釈では、前者は組織起点の発想、後者は個人起点の発想です。平たく言えば、組織が主役なのがBelonging、自分が主役なのがidentificationです。メンバーが自立していないのがBelonging、自立しているのがidentificationといってもいいでしょうか。かなり強引な説明ではありますが。

長々と書いてしまいましたが、社会が成熟してきた段階での組織原理はメンバーの自立を前提にしたほうが効果的です。そうすると大切なのは帰属意識ではなく、自らを主役にした一体感、言い換えれば当事者意識をもっての組織との関わりということになります。さらに平たくいえば、この会社は私の会社、この国家は私の国家と思えるかどうかです。
そこがおかしくなっているのです。
とすれば、会社も国家も、そろそろ脱構築しなければいけません。

現在の組織への帰属意識を高めようと思うのは難しいことです。
しかし、自らがアイデンティファイできる組織や国家に変える努力はそれぞれができることです。
組織や国家は、その成員が変えられるのです。主役は組織ではなく、人間なのですから。
帰属意識ではなく、当事者意識を強めることが大切なのではないかと思います。

コスタリカ大学のロベルト・サロマさんは国家をも動かしました。
私たちにできることは、たくさんあるのかもしれません。

榊原さん
悩みはますます深まったかもしれませんね。すみません。

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