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2006/03/13

■頭でわかっていてもなかなか自分ではできないものです

喧嘩の始め方と収め方について、数日前に書き込みましたが、私自身は最近、無様な始め方と収め方をする体験をしてしまいました。恥ずかしい限りです。
頭でわかっていても、なかなかうまくいかないものです。
私の最大の欠陥は「感情的」になると自分を抑えられなくなるのです。それに自分の感情を隠す事が全くできない人間です。
抑えられないのは「短時間」で、すぐに回復できるのですが、家族からは「切れてしまう」とよく指摘されています。
きっと何かが欠落しているのでしょう。
「社会人」として、あるいは一人前の大人としては、失格なのかもしれません。
しかし、そう思いながらも、開き直りたくなる気分はあるのです。
おかしなことをおかしいと思いながらも見過ごしていたり、陰では批判しながらその時には何も言わなかったり、オブラートに包んだような「ソフィストケート」された良識的な表現をしたり、そういう大人が多すぎるのが、今のようなおかしな社会をつくっているような気がするのです。感情はもっと素直に出してもいいのではないか。
裸の王様の話のように、子どもの純粋な言動を「社会化」することが社会人になることではないように思うのです。

今回の「喧嘩」(正確には論争ですが)の相手は私の住んでいる我孫子市の市長です。
いろいろと「前史」があるのですが、それを一切省略すれば、それまでの経緯に「切れてしまった私」が「暴言」を吐いたのです。
そして市長から「佐藤さんの発言は普通の住民の発言ではない」といわれました。録音をとっていないので不正確かもしれません。
しかし、この発言に私は恐ろしさを感じました。
「普通の住民」とは何なのでしょうか。
もの言わぬ、ものわかりのいい住民が「普通の住民」なのでしょうか。
そうでないことを願いたいです。
私はよほど社会に適合していないのかもしれません。
まあもしかしたらそうかなという自覚もないわけではありません。
困ったものです。

岩国では住民が声を上げましたが、お上は聴く耳を持たないようです。
どこか似ているような体験だなとつい思ってしまいました。
我孫子市の住民自治はまだまだ遠い先なのかもしれません。

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コメント

僕は佐藤さんとは喧嘩したいとは思っていませんが、以前のセミナーの打ち合わせ時に、佐藤さんの質問に質問で切り返してしまう場面があって、佐藤さんが大きな声になってしまって一瞬ビクッとした事があります。
あの問いかけは本当は事務所内で今後の方針として話し合い、合意を造らなければならない問題なのですが、うやむやになってしまっているところに反省点があります。
ところで佐藤さんは、一般論で人が言う「社会化」していなくて、「普通」じゃないところが僕は好きで、いつもお話を聞かせてもらうのが楽しみなのです。

あ、先日の業務メール(セミナー講師後の件)のお返事をお待ちいたしております!よろしくお願いいたします!(^-^)/~

投稿: よつもと | 2006/03/14 23:58

四元さん
そうでしたか。

きっとそういうことが多いのでしょうね。
ビクっとさせたお詫びに今度コーヒーをご馳走します。
はい。

投稿: 佐藤修 | 2006/03/15 09:36

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