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2006/05/30

■事の良し悪しの発端

「板橋高校卒業式事件」の東京地裁判決で、卒業式に来賓で参加した元教師が国歌斉唱時の不起立を呼びかけたことに対して罰金刑の判決がでました。その判決に、ある人は「日本は法治国家ではない」といい、ある人は「法治国家として当然」とコメントしています。
法治国家とはいったい何なのでしょうか。
憲法を軽視した結果、憲法と現実が違うのは良くないから憲法を変えようという発想が、もしかしたら日本の法治主義なのかもしれませんが、法を持ち出すこともなく、おかしなことはおかしいのです。法は最後の拠り所でしかありません。
最近、企業ではコンプライアンス、つまり遵法精神が語られていますが、遵法などという当然のことを語らなければならないほど、企業はおかしくなっているのかもしれません。
法治国家とか、遵法精神とかが語られなければならない社会は壊れだした社会です。

さて、板橋高校卒業式事件ですが、卒業式を混乱させたというのが罪状です。
そこだけを見れば、確かにそうでしょう。
しかし、なぜそうなったかを考えれば、原因は別のところにあります。
そもそも信条の自由を踏みにじって、国歌斉唱を強要することがなければ、こんな事態は起こりません。
国歌なんだから、起立して斉唱するのが当然だという人はぜひ次の記事を読んでください。
日の丸と君が代

9.11事件はどうみても許せない事件です。その原因を起こしたのは誰でしょうか。
報復という言葉が双方から出されますが、どこから考えるかで意見は全く違ってきます。

事の善し悪しは、起点によって変わってしまいます。
しかし、起点がどこであろうと善し悪しが明確なこともあります。
そこから考えていくことが、壊れかけて社会には必要なことかもしれません。
大切なのは、法の条文ではなく、法の精神でなければいけません。

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