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2006/05/29

■「民」の本質

国民年金保険料の不正免除・猶予手続きが問題になっています。
矢面に立たされているのが社会保険庁の村瀬長官。民である損保ジャパンからスカウトされた「期待の星」だった人です。
ちなみに、社会保険庁の最高顧問は、民の浜田広さんとNPOの世界にも関わっている堀田力さん。いずれも、社会的な評価の高い人です。まあ、最高顧問という名前からして、組織の隠れ蓑に使われる「走狗」でしかないわけですが。堀田さんにしても、それに勝てなかったということでしょうか。
やはり現場の体験のない人は、結局は組織を壊せないのかもしれません。

今回の事件で明らかになったのが、「民」の本質だと思いますが。いかがでしょうか。
まだ「民営化」信仰を捨てられないでしょうか。

損保ジャパンは、NPO支援でもとてもいいプログラムを展開している会社です。
ここにも「民」の本質があります。
だいたい、「社会貢献」などと自ら語っているような会社は信頼できません。本業で社会貢献していないことを明言しているわけですから。
「奉仕」とか「貢献」とか言う言葉は、自らが言うべき言葉ではありません。その見識もない経営者がいかに多いことでしょうか。
しかしそれが、日本の現在の「民」、つまり企業の実態なのです。
本当の民は「民営化」の「民」とは違うのです。
損保ジャパンの文化と経営観が、今回の事件をもたらしたと言い切って良いかどうかは迷いますが、加速させたことは間違いないでしょう。
日本の行政がこの10年、一生懸命に取り組んできた「経営発想」とはこの程度のことでしかありません。

しばらくブログを書く気にならなかったのですが、やはり書くことにしました。
書いているとだんだん腹立たしくなって、精神的に良くないのですが、書かない自己欺瞞感も高まってきましたので、ブログを再開します。
村瀬長官のような「犯罪者」を放置しておいては、社会はますます劣化するでしょうから。
まあ、多くの人は彼を犯罪者とは思わないでしょうね。そこが問題なのですが。

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