■「ルールを守った上での金もうけは自由」なのでしょうか
村上ファンド事件に関する今朝の朝日新聞の報道記事の中に、
検察幹部のひとりは「ルールを守った上での金もうけはもちろん自由だ」と語った。という文章がありました。
この考えに私は大きな危惧と違和感を持ちます。
昨今の経済事件のほとんどすべては、この発想から生まれているように思うのです。
いま必要なのは、この発想を問い直すことではないでしょうか。
村上さんが記者会見で「金を儲けることがわるいことですか」と絶叫していましたが、悪いに決まっています。しかしほとんど人は悪いと思わないのです。
皆さんはどう思いますか。そこが問題だと、私は思います。
金が儲かることは悪くはありません。
それは結果論であり、社会に役立ったことの結果です。
しかし、「儲かること」と「儲けること」は、似て非なるものだと思います。
以前、「癒す」と「癒される」の違いを書いたことがありますが、他動詞と自動詞では意味はまったく変わってきます。
同じ行為でも、「働く」と「働かされる」は全く違う行為です。
なぜ儲けることが悪いのか。
人に迷惑をかけるからです。
お金は社会システムですから、配分の問題であり、実体的価値を創造することとは無縁の、まさに「マネーゲーム」でしかありません。
そのゲームの公正さを維持するのが中央銀行の役割です。ファンドを支援するような人をその総裁にして良いのかと、私は思います。もっと中立的な人でなければ、通貨システムの万人に離れないような気がします。
マネーゲームに参加する人たちは、公正さをくぐりぬけることで、マネーからマネーを生み出させることを目標にします。
そんな暇があれば、少しは実態的価値を創れと私は言いたいですが、彼らにはそんな気は微塵もないでしょう。目的は「儲けること」だからです。
そうした人たち、たとえばファンドマネージャーたちと対峙するのが中央銀行総裁なのではないかと思っていました。もちろん現実は、そうはなっていないことは理解していました。なにしろ、金こそずべて、に向けて政治がパワーを発揮している時代ですから。
もっと大きな問題は、「ルール」を守ればいいのかという問題です。
ここでの「ルール」とは何かですが、それが「社会を維持していく上でのルール」であればともかく、この発言の文脈は「法律」のように思いました。
もしそうであれば、以前繰り返し書いた「違法性」への誤解につながります。
「法律」は行為を正当化するものではありません。
それに抵触すれば、外部からの処罰が可能になるというだけのものです。
抵触しなければ良いわけではありません。
そして、法律はもちろんそうですが、ルールもまた時代によって変わる「恣意的なもの」です。
「法律が恣意的?」といわれそうですが、時の権力の所在によって変わるのが法律です。
映画の著作権期間が最近50年から70年に延びましたが、まあそんなものです。
いずれにしろ、「ルールを守れば自由」などという意識の低い人が検察幹部になっているとは驚きです。もう一度、法学を学びなおしてほしいものです。
そもそも「自由」などという言葉を軽々に使ってもらいたくないです。
法律は万能ではないのです。
今日はやや八つ当たり的な書き込みになりました。
金儲けできない者のやっかみかもしれません。
困ったものです。
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