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2006/06/13

■カネミ油症事件救済法の見送りの理由

昨夜、日本テレビの報道特集で、カネミ油症事件がまだ終わっていないことを知りました。
この事件に関しては、技術者倫理サロンなどでも杉本さんからお話をお聞きしているのですが、私の中ではすでに解決に向かって動き出しているとばかり思っていました。
そして、恥ずかしいことに、今国会で救済法が課題になっていることすら知りませんでした。反省しなければいけません。

「カネミ油症事件」は1968年に西日本を中心に起こりました。カネミ倉庫が製造した食用油にPCBが混入したため、深刻な健康被害が発生した事件です。1万人を超える被害者が発生し、日本最大の食品公害といわれた事件です。
問題はそれが母体を通じて、子供たちにも影響を与え続けていることです。
孫の代にも被害は少なくないようで、その意味では被害者はまだ増加している状況のようです。
そうした事実をはじめてしっかりと知りました。これまでもきっと聞いていたはずですが、画面で見ると認識は大きく変わります。

土壌汚染などもそうですが、環境汚染や人体障害は次世代へと継承されます。ですから迅速な解決が必要ですが、多くの事件はその最初の対応に遅れてしまい、被害が広がり対策費用も膨大になるのです。

ところで、与党はその被害者の救済法を国会に提出する予定だったようですが、提出を見送ることにしたそうです。
理由は、時間の長い経過の中でいま救済策を出すことが不公平になるということと救済の「適用が広がりすぎる」ということのようです。
昨日のテレビでのコメンテーターは、この法案は票にならないからでしょうと寂しそうに言っていました。

不公平、適用が広がりすぎると、まさに「管理発想」です。
専制国家の君主と自らを履き違えているのではないかと思いますが、思想のないテクノクラートの発想です。
苦しんでいる人がいれば、まずはその人たちに対して何ができるかを考えるのが人間です。

たとえば、難病の子供の手術費用を集めるために、親が行動を起こし、それに共感した友人知人が動き出し、それがテレビなどで報道されると1週間で1億円を超える募金が集まるという事例が増えています。
困った人がいれば、まず動き出す。それをしっかりと時間できれば、可能な範囲で寄付をする気持ちになる。それが人間です。
それがすべてにおいて良い結果を生むわけではありませんが、その原点を忘れてしまったら、どんな制度をつくってもいい結果は生みません。

コメンテーターの「票にならないから」という指摘には、今の政治への根深い不信感を感じます。
私も同感です。
しかし、問題は、そうした問題への取り組みが「票にならない」社会になっていることです。
言い換えれば、私たちがそうした問題を切り捨てているということかもしれません。

テレビはワールドカップでにぎわっています。
私はそれを苦々しく思っています。
ローマ時代の「パンとサーカス」の時代が世界規模で再現されているような気がしてなりません。
サッカーファンには申し訳ないのですが、いかにも過剰報道ではないかと思います。
その1%の費用と時間をこうした事件の報道と支援に使う社会になれば、今よりももっと住みやすい社会になるように思います。

そういう方向に向かうかどうかも、私たち一人ひとりの生き方にかかっているのです。

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