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2006/06/23

■日本はなくなるのではないですか

つい先日、ある人たちと日本現状の問題を話していて、なんともやりきれない気分になり、どうしたらこの状況は変えられるのか、日本はどうなるのか、と発言したら、その人は「日本はなくなるのではないか」と答えてくれました。
とても気になる言葉です。しかしなぜか違和感はありませんでした。

愛国心を口走る人たちが、いま、日本を、そして日本の歴史を壊そうとしているように思えてなりません。
彼らはもちろん気づいてはいないでしょう。
完全に手なづけられているのかもしれませんし、機械のような官僚制、あるいは制度の中に組み込まれてしまっているのかもしれません。
大村さんのご指摘のように、機械は反乱しないかもしれませんが、マンマシンシステムとしての反乱は十分可能です。

NHKの朝の連続ドラマで、今朝、女学校の教師が「愛国者」による「亡国に向かう授業」を強要されて、教師を辞する最後の授業のエピソードを放映しました。
このドラマが、いまの日本社会を描いているという思いで毎回見ているのですが、今日の展開はまさにいま各学校で行われている亡国のシナリオへの告発のようにも思えました。
「こんな時代もあった」という話では決してなく、まさに今起こっている話なのです。
そう思っている人が少なからずいるのではないかと思っています。
このドラマの演出者はきっと間もなくNHKを辞めるだろうと思いますが、まあそれは考えすぎでしょうか。
考えすぎですね、はい。
しかし、事態はそこまで来ているのかもしれません。
ニーメラーの教訓を思い出したいものです。


パンとサーカスで滅んだローマはもちろん、よく引き合いに出されるカルタゴの亡国の歴史も驚くほどに現在の日本に類似しているように思います。
日本は自国の国民の食料や生活資材を自給することのできない国になってしまっています。つまり、存在が他国の人たちに迷惑をかけているわけです。
今のままでは、なくなっても仕方がないのかもしれません。

事態を変転させなければなりませんが、どうしたらいいのでしょうか。

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