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2006/06/03

■違法性の網の広がり

違法性を認識していることは、多くの場合、犯罪の構成要素になっています。
違法性は常識とは違う次元の話ですから、社会の状況によって変わってきます。ですから、違法性の基準を明示していることが法治国家の要件になります。
言い方を換えれば、違法性を問題にするのが法治国家です。国家の前に違法行為があるわけではありません。国家が規定した法律に違反することが違法性の成立要件です。
しかし、法律は多義的に設定される上に、状況の変化により違法性もまた変化しますから、実際には「違法か否か」を判断することは、自明のことではありません。むしろ恣意的なものというべきでしょう。
そこに大きな落とし穴があります。人道に反することは違法性とは別の話です。
違法性の網は、社会の成熟のある段階まではどんどん増えていきます。おそらく今では違法性の網にひっかかることなく生きることは不可能に近いでしょう。
そして、その状況の中で経済主義が優勢になると、「訴訟国家」へと社会は変質します。管理社会といってもいいでしょうか。昨今のアメリカがそうかもしれません。そして、日本もまたそのすぐ手前にあります。
私が法曹界への不信感を強めているのは、経済主義に抗する姿勢が弱いからです。
医療も福祉も教育も芸術もスポーツも、同じ方向に向かっていますから、法曹界だけが悪いのではありません。私は、すべてに不信感を強めています。ですから胃カメラを飲まなければいけなくなってしまったわけです。
もっとも、こうした方向に社会が動いているのは、私たちの生き方の結果ですから、私もまた、それに加担しているわけです。

村上ファンドがインサイダー取引で失速しそうですが、その気になれば、だれもが違法行為の嫌疑をかけられる時代です。恐怖政治の時代がじわじわと広がっているのです。そうした流れの中で、共謀罪法案や愛国心論議を考える必要があります。全体を展望すると、その末恐ろしさが見えてくるはずです。
村上ファンドの暴走には不快感を持っていましたし、インサイダー取引疑惑問題には何の意外性もありませんが、しかし何かもっと大きな不安を感じます。目をつむりたくなるような不安です。

違法性の網は、今やほとんど社会にくまなく張り巡らされました。
法律が一つ出来れば、違法性の根拠は一つ増えるのです。
その網から自由であると、皆さんは自信をもっていえるでしょうか。
残念ながら私には自信がありません。
違法性の網を活用して、社会の舵取りをしているのは、一体だれなのでしょうか。
法律は一体誰のためにあるのか、弱者を守るためにあるのでしょうか。
違法性の網の意味を、もっと私たちは真剣に考えなければいけないように思います。
違法性に惑わされることなく、素直に生きていける社会に生まれたかったと思います。
その時代は今から1万年以上前に終わってしまったのかもしれませんが、未来に再現することは可能かもしれません。いや、社会の本当の成熟とはそういうことではないかと、私は思います。私が生きている間には無理でしょうが。

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