■つながりを壊すお金とつながりを育てるお金
日本銀行の福井総裁が村上ファンドに1000万円投資していたことが問題になっています。お金の論理を考えればそう驚くような話ではありませんし、もっと構造的な問題があると思っている私としては、こんな話は瑣末な話です。それに、彼らに「見識」を求めることなど期待すべきではありません。
ある雑誌が富裕族の特集をしているのを満員電車の横の人が読んでいましたが、富裕族の「つながり」は、金を生む源泉であるとともに、金によって維持されるものですから、お金が絡んでくるのは当然のことです。金融関係で仕事をしている人は、ほとんどがそういう「金縁」で生きているのかもしれません。いや、財界の人たちもそれに近いかもしれません。
かくいう私も、一時はそれに少しだけ近づいた時期があり、お金は富裕層の間で回っているのだなと感じたこともあります。その世界を目指せば、私の人生は変わったでしょう。残念ながら私にはその才能がありませんでした。それに、そうして得たお金は、人生の豊かさや幸せにはまったく無縁のものだという気がしていました。
中央省庁の外注業務のうちの随意契約の8割が不適切だという調査結果が今日発表されましたが、これなども「つながり」の中で行われているのでしょう。談合や癒着の文化はそう簡単には変わりません。こうした実態は、関係者はみんなわかっているはずですし、マスコミが取り上げるのはそのほんの一部でしかないでしょう。
「お金でつながった社会」とはもろい社会です。金の切れ目が縁の切れ目になるからです。
今月号の「ダイアモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー」に「ソーシャル・キャピタルの高い組織はむしろ脆い」という調査報告の記事が出ていますが、そこで語られているソーシャル・キャピタルは、まさに「金によるつながり」のようです。まあこれは調査をしたケンタッキー大学の教授の見識のなさを示していますが、それにしても、米国流資本主義においては「金の縁」が人の絆(ソーシャル・キャピタル)の基本なのかもしれません。その世界につながろうとしている日本の政財界の主流の人たちが「金縁」を基準に行動しているのは当然のことでしょう。
ところで、「お金」あるいは「通貨」は、そもそもは人のつながりを創るものです。
しかし、その「つながり」の設計の基本思想は、「つながり」を自立させないことでした。つながりが自立すれば、貨幣も制度も不要になるからです。
そのために、「富裕族」たちは、つながりが自立できないような「貨幣依存の経済システム」を構築したわけです。
もし一時期広がりだした地域通貨やコモンズ通貨を基本にすれば、経済システムも社会のあり方もまったく今とは違ったものになったでしょう。だからこそ、つぶされたのです。今はやっているのは、そのまがい物でしかありません。
今の通貨システムは、つながりを壊すためのメディアなのです。
設計の基本思想を変えなければいけません。
ところで、私が取り組んでいるコムケア活動が標榜しているのは、「金の切れ目が縁のはじまり」です。
100年後にはきっとそうなっているでしょう。確信しています。
| 固定リンク
「経済時評」カテゴリの記事
- ■資本主義社会の次の社会(2023.10.10)
- ■「資本主義の次に来る世界」(2023.07.24)
- ■「ペットボトル水現象は現代のチューリップ・バブル」(2023.07.06)
- ■読書の3冊目は「マルクス」(2023.03.28)
- ■ドラマ「ガラパゴス」を観て心が揺さぶられました(2023.02.15)
コメント