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2006/07/13

■ジダンの頭突きと9.11事件

ワールドカップの決勝戦でのジダンの頭突き事件が話題になっています。
インタビューで、ジダンが、こうした事件が起きると行動者が問題にされるが、その行動を引き起こさせた側も問題にするべきだ」と語っていましたが、心から同感します。
社会は見えるものしか糾弾しないのです。
見えるものは客観性が強く、見えないものは主観性が強いからです。

しかし、もし自らがジダンの立場だったらどうでしょうか。
そう考えれば簡単に答は見つかることが多いのです。

観戦していた子供たちには謝罪したいと言っていましたが、もしジダンのいうことが事実であれば、泣き寝入りすべきではなく、行動したことは子供たちにも大きなメッセージになったはずですから、謝罪しなくていいように思います。
時には大切なことを失ってでも守ることがあるといメッセージは、今の時代にこそ必要なメッセージです。
暴力はいけないというかもしれません。
では構造的暴力や言語の暴力はいいのでしょうか。
そんなきれいごとでは本質を見抜く子供たちはごまかせません。
小賢しい大人たちはだませるかもしれませんが。

私はジダンの発言を聞きながら、すぐ、9.11事件を思い出しました。
ジダンには自己釈明の場が与えられました。
しかし、もし仮に飛行機のビル突込みがビン・ラディンたちの行為だったとしても、彼らに釈明の場はありませんでした。
最近の多くの事件でも同じ状況にある事件は少なくありません。
ジダンの頭突き事件は、現代の世界を見る上で大きな示唆をあたえてくれます。

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