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2006/07/07

■今日もまだウグイスが鳴いているのです

今朝もウグイスが鳴いていました。
今年はいつまでもウグイスの声がきけます。
いま夕方の6時ですが、今も部屋からウグイスの声が聞こえました。
これはちょっと異常です。

奇妙な静けさがあった。 たとえば、鳥は、どこへ行ってしまったのだろう。 多くの人々が、そのことをいぶかり、心配し、話した。裏庭の給餌場に、やってくる鳥はいない。 たまにどこかで見つかる鳥は、死にかけていて、激しく震え、飛ぶことができない。 それは、音のない看であった。 朝になると、かつては、夜明けのコーラスを歌うコマドリ、ネコマネドリ、ハト、カケス、ミソサザイなど、多くの鳥の声でにぎやかだったのに、 いまや、音はなく、草原や森や沼地に、沈黙があるのみだ。 (中略) 道ばたは、かつては魅力的だったものが、一面の植物がしおれて茶色になり、あたかも山火事にあったかのようだ。 ここでも、あるのは沈黙であり、生き物がいなくなってしまった。 小川さえも、いまでは生命がない。 釣り人が訪れなくなったのは、魚がすべて死んでしまったからだ。

これは1962年に発表されたレイチェル・カーソンの「沈黙の春」のはじめにある「明日のための寓話」の一節です(杉本泰治仮訳)。

沈黙どころか、この数年の自然は冗長です。
それが沈黙よりいいことなのかどうか、にわかには判断できませんが、今年のウグイスは異常です。
何かの予兆でなければいいのですが。
庭にメロンの食べた後を小鳥たちのために置いておいたら、カナブンで真っ黒になっていました。
これほどのカナブンがこの時期に群がっているのもめずらしいです。
その反面、蝶々が少ないような気がします。
この数年、モンシロチョウはめっきり減りましたが、昨年はアゲハチョウが賑やかでした。
今年は気のせいか蝶が少ないようです。
毎年、何がしかの異常を感じます。
気のせいであればいいのですが。

九州の豪雨が心配です。
これは天災なのか人災なのか。
私たちの生き方を変えないといけないと思いながらも、変えられずにいます。

ちなみに我が家の庭に放したはずの沢蟹は、相変わらず姿を見せません。
春には子蟹が大挙出現するのではないかと期待していたのですが、今年もだめでした。
これはまあ別の要因かもしれませんが。はい。
自然は正直ですから、そこからのメッセージに私たちはもっと敏感にならなければいけないのでしょうね。
何か予兆を感じていませんか。

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