■世界を広げる学びと世界を狭める学び
講談社現代新書の「偽りの大化改新」を読みました。
最近は大化の改新などはなく、乙巳の変という表現のほうが基本になっていますが、
この本はこの事件でいったい誰が得をしたのかという視点から入鹿殺害の犯人探しをしています。
先日、「得をするのはだれか」に書いたように、
先入観を捨てて、結果的に利益を得た人に焦点を当てて事件を振り返ると新しい構造が見えてくることもあります。
本書の結論は蘇我入鹿殺害の首謀者は軽王子、つまり事件後、即位した孝徳天皇だというのです。細かな論証をしていますので、説得力があります。
小学生の頃からこの事件は中大兄皇子による「改革」のプロローグという枠組みで学ばされてきた私には、
そういう「素直な論理的帰結」が思いもつかなかったのです。
きっとこうしたことは多いのでしょうね。
学ぶことが発想の広がりを邪魔することもあるわけです。
「学び」には次元があります。
そして、世界を広げる学びと世界を狭める学びがあるのかもしれません。
いまの学校教育はどちらを目指しているのでしょうか。
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