■地方分権反対論
私は「地方分権反対論者」です。
そういうと、誤解されてしまうのであまり言わないようにしていますが。
「官から民へ」も「行政のサービス機関化」も反対なのですが、これも誤解されてしまっていますし、言葉は難しいです。
市長との議論のために言葉の定義をしたペーパーを用意して行ったら、佐藤さんは勝手に言葉を定義してしまうと言われたことがありますが、一般的に使われているからといってあいまいな意味で使っていては、本当の議論はできません。
ですから私はソクラテスほどではありませんが、言葉への自分の定義は明確にしています。まあ説明する能力と姿勢が欠落しているので、独りよがりと怒られてしまうわけですが。
さて地方分権です。
地方分権とは中央の権限(権力)を地方に分権(委譲)していくことですから、中央集権体制でのひとつの手段です。
地方分権体制といえば、体制ですから手段ではありませんが、分権というからにはどこかに権限を分ける主体がありますし、分権する大本の権限の源泉が一まとめになってあることが前提のはずです。
集権があればこそ、分権が成り立ちます。
それに「地方」というのは「中央」を前提とした概念ですから、ここでも全体から発想する枠組みが基本にあります。
そう考えると、地域主権という言葉と地方分権は全く発想が逆のものであることがわかります。
地域主権は、「地域」に、分権された権限ではない、固有の権限があるという概念です。
しかも「地域」という概念は国家や政府と違って主体になりえない概念ですから、その権限の源泉は、おそらくその地域の住民であり、したがってその前提には住民主権があるはずです。
もっともここで国家と同じような虚構が入り込みます。
いわゆる有識者や有力者が、多くの場合は国家体制に依存した行政体や議員や法人役職者が「住民」を僭称します。
したがって注意しないと地方分権と同じようなものにもなりかねません。
組織原理が全く違うのですが、まだまだ現実には成立しにくいのが地域主権です。
しかし、NPO概念の広がりの中で、ようやく住民概念が実体化されつつあるように思います。
これに関してはこのブログやCWSコモンズで何回も書いていますが。
実は「もったいない」発想がどんどん希薄されたことにつなげようと書き出したのですが、なかなかつながりません。
テーマが大きすぎました。
要は、現場との距離と「もったいない発想」とは反比例するということを書くつもりだったのです。
たとえば、昨今の行政の無駄遣いは地方交付税に裏付けられた分権体制に起因するというような話です。
しかし、私の頭の中にある簡単な話も論理的に書いていくと膨大な文字が必要なことに時々気づかされます。
人間の頭とコンピューターは、やはり全くの別物ですね。
この話はまたつづきを書きます。
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