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2006/07/12

■情報共有社会の落とし穴

私が会社に入った頃から盛んに言われだしたのが「情報化社会論」です。
1964年です。
当時出版された「知識産業」(マッハルプ)や「情報産業論」(梅棹忠夫)、「幻影の時代」(ブーアスティン)は実に新鮮でしたし、当時愛読していた経営関係の雑誌(当時は今よりもたくさんの実践的な経営誌が発行されていました)はいずれも「情報化」特集が多く、企業に入ったばかりの私にも「情報化」が企業や産業を大きく変えていくという期待を持たせてくれました。
しかし、その後30年間、期待したほどの大きな変化もなく、情報化に失望していました。
状況が変わりだしたのは、5年ほど前からです。
情報環境はインターネットとパソコンのおかげで、一変しました。
情報共有社会が現実の話になってきたのです。
情報共有が実現すれば、情報格差による一方向的な支配関係や安直なビジネスによる利益格差は是正され、公正な人間関係と価値の配分が実現します。情報の共有は生活の共有であり、宮澤賢治が夢見ていた、みんなが幸せで豊かな世界が実現する。

と思っていました。
ところがです。どうも過渡期には反対の現象が発生するようです。
いや過渡期だけではないのかもしれません。
私は、情報共有社会の本質をどうも勘違いしていたようです。
最近、なんとなくそんな気がしだしていたのですが、
昨日、岩波新書の「メディア社会」(佐藤卓己)を読んで、私の間違いに気づきました。
この本は実に刺激的な本で、読んだ以上のことを書きたくなるほど、面白い本です。
副題に「現代を読み解く視点」とありますが、確かに現代を読む上での示唆がたくさんある本です。

大きな問題は3つあります。

情報共有が可能になる社会は実は情報格差を拡大する社会でもあるようです。
フィリップ・ティチュナーの「知識ギャップ仮説」というのがあるそうです。
誰でも利用できる情報量が増大すれば、個人の情報活用量は増大する、のだそうです。
情報を共有できる環境と個人の情報格差とはむしろ反比例するというわけです。
昔、情報化社会論の流行に反発して、「非情報化革命論」を書いたことがありますが、その論考を少し進めれば行き着いたことなのですが、当時は全く気づきませんでした。
今は実感できるほどにわかります。
ちなみに、ネットで「非情報化社会論」を検索しましたが、出てきませんでした。少なくともある人が私の未発表の小論を論文に引用してくださっているのですが、昔のことすぎて見つからないようです。暇なときにまた探してみようと思いますが、こうしたネットサーフィンも面白いです。

もう一つの論点は、情報共有社会は人間の表情を消去するという問題です。
活字の発明で「子供」が誕生したといわれますが、情報化の主役がテレビになったことで「子供」が消滅したという議論があるそうです。つまり情報にアクセスするメディアが年齢を制約条件にしなくなったのです。衝撃的な指摘です。少子化ではなく、子供が消滅したのですから。これにもうっかり気が付きませんでした。
いや年齢だけではありません。性も生活場所も職業も、すべての属性を超えて、すべての人の前に情報が直接アクセスしだしたのです。これはすごく怖い話です。今の無表情な社会は、もしかしたら情報共有化のためかもしれません。個性の消滅につながりかねません。
昨今のさまざまな事件はここに起因しているのかもしれません。

説明不足ですみませんが、この2点は少しこれから考えてみたいと思っています。
いや、1年、すべての仕事を止めて、このテーマを考えてみたい気もします。
もしかしたら世界の行く末が見えるかもしれません。

ところで、この本を読んで、携帯電話は止めようとも思ったのですが、ついついまた買ってしまいました。
これが情報共有社会の3つ目の問題です。

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