■正すべきは自らにあり。
金英男さんの記者会見は見え透いたお粗末な茶番という人が多いですが、日本の国会の実況と、私にはそう違わないような気がしました。
印象に残ったのは、隣で発言している金さんの顔を横から唖然としてみている母親の表情でした。何も出来ない、発言すらできない、唖然とするしかないのです。
あの目線を、金さんはどう感じたでしょうか。
国会議員の答弁は、ああいう目線からも隔離されているのかもしれません。
いや、私たち国民が、ああいう当事者としての感受性や関心をすでに失っているのかもしれません。
北朝鮮政府の責任ある人が嘘をついたり、つかせたりしていることが、もし真実であるとしたら、それを正すことなく、その嘘の上に国交し、核危機を回避しても、それは何も生み出さないのではないかという気がしてなりません。
それに、悪事を見逃すことは、自らも悪事に加担することと同義です。
結局は〔仲間〕になるということです。
にもかかわらず、正すことも経済制裁も出来ずに、対話しようとしている。
しかし、ちょっと立ち止まって、自分の生き様を考えてみると、
実は私もまた、金英男さんと同じような生き方をしていることを否定できません。
嘘をつかなければ生きていけない社会。
納得できなくとも、体制に従わなければ生きていけない社会。
金英男さんが、見事に自分に重なっているのに改めてゾッとしました。
もちろん、そうしたことの積み重ねが日本の国会審議になっているわけです。
金正日の嘘の構造は、私たちの嘘とつながっているのです。
正すべきは自らにあり。
金英男さんの記者会見は自らの生き方も含めて、いろいろ考えさせられました。
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