■「貧しい豊かさ」と「豊かな貧しさ」
一昨日、大阪の貝塚に行きました。
寺田紡績という会社を訪れたのですが、その工場に行く道もとても懐かしい町並みを残していましたが、会社自体も実に懐かしい雰囲気で、感激しました。
私が会社に入社して最初に赴任したのが、滋賀の石山にある工場でした。
そこの雰囲気が私の社会の原風景なのです。
そこで感じたことを書き出したら、それこそ1冊の本になりますが、私の人生観はそこでの4年間で仕上がりました。
経済的には、貧しい時代から豊かな時代への移り目でしたが、私の価値観では、豊かな時代から貧しい時代への変わり目でした。
滋賀の工場には「豊かな貧しさ」の名残がありました。
そればかりではありません。
「変えなければいけない課題」も実感できる形で残っていました。
女工哀史の世界の象徴が、あるいは遺産が、残っていたのです。
何も知らすに会社に入った若者には十分に刺激的でした。
昨今の男女平等社会論とは違い、そこには表情のある人間が見え、現実の形でまだ残っていたのです。
昭和30年代に、日本は進路を間違った、と私は思います。
思い直すチャンスは40年代にあったように思います。その動きのすぐ近くにいながら、私は気づかずにいましたが。
私がその間違いを迷いなく自覚できたのは、入社してから20年後です。不明をはじなければいけませんが、それ以上に、一度手に入れた「貧しい豊かさ」を捨てられずにいることです。
それどころか、歳とともに、利便性を求め、怠惰さをむさぼる生活に向かっています。
そのために今もって、中途半端な生活を送っているわけです。
話がそれてしまいましたが、私が寺田紡績を訪れたのは、今度、社長になった友人に会いたかったからです。
しかし、その会社に着いて、車を降りた時の第一印象は40年前の世界へのタイムスリップでした。
とても人間的で、ホッとする風景がそこにあったのです。
書き方を注意しないと誤解されそうなのですが、ともかくこれこそが日本をいい意味で豊かにしてきたものづくり工場の原点です。
社名には紡績とありますが、今は紡績はしていません。
しかし、工場は昔の紡績工場です。
その建物をとても大事に使いながら、苦労しながら新しいものづくりに取り組んでいます。明治45年に作られた工場です。
工場を見せてもらいましたが、働いている人たちがみんなあいさつしてくれます。
いい仕事をしている証拠です。
こうした豊かな会社を私たちは壊して、わけのわからない会社を育ててきてしまっているのです。
とても豊かな気持ちになれました。
友人がとてもうらやましく思えました。
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