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2006/08/20

■イーハトーヴの平和と夏休みの効用

岩手に行っていました。
宮沢賢治のイーハトーヴの世界です。
イーハトーヴは、賢治にとっての理想郷でしたが、その言葉の意味とは違い、ネバーランドではなく、決して少なくない人たちの心象世界の中に実在した世界なのだろうと思います。
岩手の豊かな自然に触れると、そう思えてなりません。
賢治はおそらく、動植物はもちろん岩や土や水の流れ、風や太陽とも会話していたのだろうと思いますが、ここに来て自然と触れると、とても納得できます。

岩手の自然に触れて、もう一つ感じたのは、岩手の貧しい農民たちというイメージがなかなか実感できないことでした。
彼らは実際に貧しく、冷害に苦しみ、毎年雪を越すことで精一杯だったのでしょうが、それは過酷な自然状況のせいだったのでしょうか。
雪の深い岐阜高山の知人から、長い雪の世界が終わり一挙に梅も桃も桜も開花する春の到来の感激の話を時々聞きますが、雪深い岩手の世界でも、きっと毎年、その歓喜の春がみんなを元気にさせていたのではないか。そうやって元気付けられた人たちが、自然と仲良く暮らせていたのではないか。などと思ってしまうのです。
そんなに良いと思うのなら自分も転居したらどうかといわれそうですが、それは私にはできないでしょう。
人はそう簡単には転居できないものだということを最近痛感してきています。
人の生命は土に深くつながっているのを最近強く感じます。
そのつながりが切れた時に、もしかしたら悲惨な農民の物語が創られたのかもしれません。
事実に反するのかもしれませんが、そう思えてなりません。

賢治はなぜ自然と話ができたのでしょうか。
そして現代人の多くは、なぜその能力がなくなってきてしまったのか。
アイヌ民族はかつて「文字」を持たなかったが故に、暦や文化を伝承で伝えてきたが、文字を学んだことで、その記憶力や非言語コミュニケーション力が失われたということを子どもの頃学んだ記憶があります。
日本の地方に行くと、その自然の豊かさにいつも圧倒されるのですが、もし今もなお自然と話ができるままで生活していたら、今とは違った豊かさの指標を持てていたかもしれません。
人と人との平和の前に、人と自然との付き合い方や会話できる能力を回復することが大切なのかもしれません。

毎年の夏休みで、多くの人たちが、そして多くの子どもたちが、企業や学校から解放されて、自然と触れ合う夏休みの効用はきわめて大きいように思います。

みなさん、自然ときちんと話をしていますか。

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