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2006/08/26

■住宅のあり方と少子化、あるいは子どもたちの反乱

今はあまり「衣食住」という言葉が使われないですが、衣食住は社会の基本です。
社会というよりも、生活や文化、あるいは人間の意識の基本です。
残念ながら、最近30年の日本においては、この衣食住がおろそかにされてきたように思います。
それが昨今の社会の崩れの基本だと私は考えています。

たとえば「衣」。ファッション感度は高くなっているのかもしれませんが、私には大きな違和感があります。
たとえばクールビズ。機能性から考えるのも良いでしょうが、衣とは何かという基本が軽んじられているように思います。文化の放棄です。

「食」はどうでしょうか。
グルメが騒がれますが、子どもたちの食生活を見れば、グルメ志向が単なる商業主義の発想でしかないことが分かります。
グルメを自称している人で、食文化への関心を持っている人に残念ながら出会ったことがありません。
ファッションとしてのグルメ、消費としてのグルメには違和感があります。
しかも、食文化とは無縁のところで、あまりにもひどいテレビ番組が多すぎます。
さすがに最近は、食べ物の投げ合いをするような腹立たしい番組は無くなりましたが。
日本に豊かに存在した、衣の文化、食の文化は失われつつあります。

そして「住」。
昨日、旧知の時田さんが訪ねてきてくれました。
時田さんは熊谷で工務店をやっています。
日本の伝統文化である住の技法を継承している職人たちのネットワークを大事にしながら、
納得できる仕事をしていますが、昨今の状況ではなかなかそれも難しいようです。
時田さんはこう言います(私の整理ですので不正確かもしれません)。

戦後日本の住宅政策の基本は「戸建て持ち家」で、それを推進するために、低利の建設資金を融資する住宅金融公庫を1950年に設立した。しかし、それに対抗する勢力は、集合住宅借家方式を主張、1955年、日本住宅公団が設立され、団地が誕生。その「持ち家発想」と「団地発想」が統合されて、都市型マンションが生まれ、住宅もまた商品になってきた。そして、政策理念のないままに、経済至上主義の中で、構造偽装に象徴される欠陥マンション、平均寿命25年という木造住宅が広がった。

そこで、時田さんは、高品質な住環境と住宅、それを成立させるための思想を世に問いながら、
新しいコミュニティを創造するプロジェクトに取り組むことになったのですが、それに関しては、
CWSコモンズの活動記録(2006年8月24日)で報告します。
ここでは、時田さんと話していて改めて考えたことを書きたいと思います。
住宅に関しては、以前、私も日本住宅会議に入っていましたので、
いつか住宅政策の間違いを指摘したいと思い続けていたのです。

まず、時田さんの整理のように、日本人は戦後の荒廃から立ち直るために、仮設住宅を創ったのに、いつの間にかその仮設住宅が標準住宅になってしまったということです。
しかも、それが経済至上主義にくっついてしまった。
家電製品や自動車と同じように、買い替え市場を生み出す商品に位置づけされてしまったのです。
そして30年しか持たないような消費型住宅ばかりができて、建設廃材世界1の国になったわけです。
そこには住文化は微塵もありません。
いや、文化を壊し経済人になる仕組みが埋め込まれていたというべきかもしれません。

つまり住宅が「モノ」として捉えられ、そこで展開される家族の「住まい方」、あるいは近隣住民とのつながりが育てていく空間価値などが全く置き去りにされたのです。
住文化の喪失です。

こうした住宅政策は結果的に核家族化を進め、さらには単身暮らしを増やしていきます。
核家族などと「家族」という言葉を使っていますが、これは家族の解体でしかありません。
世代は分断され、子育ては機能不全を起こし、コミュニティは解体され、お互いに殺傷しあうおぞましい社会が広がり、少子化が進行するのは、こうしたことの結果です。
ピントはずれの少子化対策は、事態を悪化させるとしても社会を良くすることはないでしょう。

土地も含めて、住宅が商品化されたことの弊害も大きいです。
これに関しては、また改めて書きたいと思います。

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