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2006/08/12

■自民党総裁選挙の象徴性

自民党総裁選挙はすでに決着がついているようですが、そこに自民党の本質が象徴されているような気がします。
密室の談合体質。長老たちの支配体制、です。
これこそが「政治」だという人もいますが、そういう政治には多くの生活者は興味を感じないように思います。
その表れが選挙への投票率の低さかもしれません。
多様な意見を引き出す仕組みとは違って、一部の意見を際立たせる仕組みが、日本の民主主義の設計思想ではないかと私は思っています。
CWSコモンズでいつも書いているように、制度発想か個人発想かで、民主主義はまったく違った機能を発揮します。
パラダイム転換しなければ、事態はいつになっても変わりません。
いずれにしろ、万機公論を目指して立候補宣言をしている河野太郎さんたちとはまったく次元の違う舞台で議論が進められているわけです。
社会党がまだあったころ、土井さんに対して秋葉さん(現広島市長)が党首選挙で争ったことがありました。
当時の新聞に、秋葉さんはまだ若いから、という記事が出ました。
秋葉さんは私と同じ世代ですので、当時50代の後半だったはずですが、つい10年前には50代ですら一人前とされなかったのが日本の政治だったのです。
高齢社会になる前に、実は日本は今以上に高齢者支配社会だったわけです。
最近は政治の世界も大きく若返りました。
しかし高齢者支配の時代の悪しき仕組みはまだ残っているようです。

昨日、テレビを見ていて、太田総理に感心しました。
自民党の若手議員といわれる人たちにも、せめて太田さんくらいの「悩み」を持ってもらいたいと思いました。
個人としてのパッションのない、無表情の政治家ばかりになっているのがさびしい気分です。

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