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2006/08/23

■「伝えたいニュース」の消費者からの脱出

昨日、
>事件や犯罪もまた「生産」されるようになったのではないか
と書いたのですが、自分で書きながら、書きすぎだと思っていましたが、
書いてしまった後、どうも1日、気になっていました。
ところが考えているうちに、もしかしたら実際にそうなのかもしれない、という気になってきました。
まあ、それはいいのですが、関連して考えたことを書きます。

問題が多発すれば、問題の意味もまた希薄化します。
事件発生の頻度と自分に起こりえる現実感は、比例すると考えるのが普通です。
周辺で犯罪が頻発すると、もしかしたら次は自分かもしれないという思いになるでしょう。
しかし、ここには2つの要素があります。
「周辺」と「頻発」です。
もし頻発する事件が「周辺」でなく、ボルドーやレバノンだったらどうでしょうか。
自分の生活空間とは遠い所で、事件の頻度が高まると、
逆に事件そのものが自分とは無縁な観察や消費の対象になってしまうのではないかと気づきました。
編集の仕方で、相関関係は全く逆転するのです。
ゲームや映画などの虚構の世界の事件が、さらにそうした動きを補強します。

ITの発展が、世界の距離を縮め、世界中の情報を並列に並べて処理する仕組みを生みだしました。
マスコミなどに載る情報の選別は完全にメディアの作り手にゆだねられたのです。
私たちは「知りたいニュース」の受信者ではなく、「伝えたいニュース」の消費者になってしまったのです。
しかもマスコミはニュースの実体よりも、ニュースの話題性に関心を移しています。つまりニュースの加工をしているということです。
その結果、事件が頻発すればするほど、感覚が麻痺し、現実感が失われる社会に変質してしまったのです。

先日書いた発砲率ですが、対象との距離と発砲率は比例するそうです。
物理的距離や心理的距離を大きくすれば、発砲率は高められるのです。
事件の発生地との距離もまた、事件を対象化してしまうことは間違いありません。
話題が広がることの危険性がそこにあります。

私たちは世界を自らの暮らしとは別のものにしてしまう情報環境に陥っているのかもしれません。
そうしたバーチャルな世界に住んでいると、いつの間にか自らもまたバーチャルな存在になりかねません。
身近な近隣社会の情報やニュースに改めて関心を向けることが大切になってきています。

みなさんは地域社会の動きをどの程度知っていますか。
地域でもさまざまな事件が起きています。
たとえば路地の空地に花が咲いたとか、隣人が怪我をしたとか。
自治会の会長をさせてもらっていると、いろいろな気づきがあります。

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