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2006/08/24

■自由と秩序

朝日新聞の連載記事「境界線で」の最終回は、国家と非国家がテーマでした。
刑務所や警察機能の民営化の話しも紹介されていましたが、
民営化から共営化へと移行させるべきだと
考えている私にとっては、恐ろしい未来への懸念が高まるばかりです。
しかし、その懸念は私だけではないようです。
その連載の締めくくりの文章はこうなっていました。

見かけは小さな国家でも、コントロールが利きにくければ、力は強大になる。
自由度が増したようで、実は選択の余地があまりない。
この国は、そんな方向へ向かっているのかもしれない。

「国家が秩序を保ち、国民一人ひとりが自由を享受するには、清貧が最も有効だ」
これはマキャベリの言葉です。
『政略論』にこう書かれているそうです(塩野七生「マキアヴェッリ語録」)。

ローマも、建国後400年までは少なくとも、清貧を尊ぶ気風が充満していたのだった。 なぜならローマ市民にとって、いかなる公的地位につくにもいかなる栄光に浴すにも、貧しさが不都合なことはまったくなかったからである。 もしも、その人物が力量に恵まれてさえいれば、どんなに貧しい小屋に住んでいても、人材登用の機会にもれないという自信をもてたのだ。 だから、強いて富を求める必要もなく、欲求も生れなかったのである。 つまり、ローマ人の制度が、ローマ人自身に、富をがむしゃらに追求する気持を生れさせなかったのだった。 それどころか、畑仕事をしていたのを臨時独裁執政官に登用されたキンキナートゥスのように、立派な人物ならば、清貧もまた名誉とさえ思われていたのだ。

そして、こう書いています。

清貧を尊ぶ気風が、国家や都市やすべての人間共同体に栄誉を与えたのに反して、富追求の暴走は、それらの衰退に役立っただけなのであった。

国家のみならず、企業の経営者にもぜひ考えてほしい問題です。
今の日本は、まさに富追求の暴走状況にあるように思います。
せめて自分だけでも、そうならないように心がけていますが、心迷わす誘惑が多すぎて煩悩から脱せずにいます。

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