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2006/08/09

■国民祝祭日を国民黙祷日に変えたらどうでしょうか

今日の11時2分、長崎に原爆が投下されました。
その時間、神奈川県の湯河原町で迎えたのですが、屋外スピーカーからの告知があって、サイレンがなり、住民に黙祷が呼びかけられました。
私が住んでいる我孫子市でも同じことが行なわれているのかもしれませんが、今まで気づきませんでした。
こうした活動がしっかりと各地で行なわれているのです。

黙とうをしながら考えたことがあります。
国民祝祭日をやめて国民黙祷日にしたらどうでしょうか。
いや、そもそも祝祭日のいくつかは黙祷日の要素をもっていました。
先祖を思い、働くことに感謝し、健やかな子どもの育ちを祈っていたはずです。
それがいつしか、単なる休みの日になってしまいました。
祝祭日の意味が変わってしまったのです。
改めてみんなで自分たちの生き方を考え直す「国民黙祷日」にするのはどうでしょうか。
候補は、広島・長崎の日、阪神淡路大震災の日、水俣の日、サリン事件の日、盧溝橋事件の日、挙げだしたらきりがないほどあります。
暗い記念日で元気が出なくなりそうという人がいるかもしれません。
そんなことはありません。
その暗い日を切り抜けて今があるのです。
長崎の被爆者たちは、きっと長崎の日にみんなが思い出してくれることで、元気になるのです。
被爆者ではない私も、また被爆者の声を聞いて元気になれます。

好戦的な為政者が出てきても、それに抗して生きている人たちの姿は私に大きな勇気と元気を与えてくれます。

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