■やり始めたら、とまらなくなる依存症シンドローム
コムケアの仲間が、佐藤さんの頭も劣化してきているようなので、と言って、
「文字の大きなクロスワード」創刊号をくれました。
全冊、クロスワードの本ですが、出版元の世界文化社ではこの種のワードパズル誌をすでに7種類も出しており、総計1億冊を突破したのだそうです。
クロスワードは時間つぶしのものという先入観があり、いつも時間貧乏をしている私には縁のない世界だと思っていましたが、就寝前についついやり始めたら、とまらなくなりました。
取り立てて面白いわけでもありませんし、出来たからと言って充実感があるわけでもありません。にもかかわらず一つ出来ると次の問題に取り組んでしまいたくなるのです。
問題が目の前に出されるとついつい解こうとしてしまう。
どうもそういう潜在意識があるようです。
私は模範的な工業社会労働者なのかもしれません。
「ついついやり始めたら、とまらなくなった」。
植草さんの犯罪も、飲酒運転常習者も、あるいは万引きから抜けられない人も、最初はきっと軽い気持ちで、ついついやってしまったのかもしれません。
それがいつの間にか抜けられなくなってしまった。
依存症です。
そうした依存症には誰もが陥る可能性がありますが、最近はそれがどうも広がっているようです。
個人の主体性や自立性が「人や自然とのつながり」と切り離されて語られだしている現代社会では、ますます依存症シンドロームは広がり深まるような気がします。
先日、SNSの議論をしている時に、mixyづかれの話が出ましたが、これもまたネット依存症のひとつです。依存症はどんどん若い世代に広がっているようです。
昔からにアルコールやギャンブルの依存症は問題になっていましたが、最近のネット依存症や音楽(ウォークマン)依存症もまた大きな社会問題にならなければいいと懸念しています。
かくいう私も、最近はPC依存症に陥っているようです。
なぜかPCに向かうと安堵します。
危険な兆候かもしれません。
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コメント
何かに依存しなければやっていけないのがヒトのように思えます。宗教・政治・思想・文化。善し悪しを何処で線引きするかは個々人の価値観であり、その依って来る経験ですが、自分が何故そう感じるかは自分の歴史をうまく説明できないと伝わらない。
伝わったとしても、一般的に社会問題化できるかはわからない。
PCについては実際に身体的な害があるのではないかと感じますが、電磁波を削減するとか機器の改良の余地があると思います。
投稿: 田端 | 2006/09/18 06:48