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2006/09/23

■犯罪被疑者が子供たちを育てる国家(日の丸・君が代の強要違憲訴訟の東京地裁判決の意味)

入学式や卒業式での日の丸・君が代の強要違憲訴訟の東京地裁判決は予想に反して、「都教委の強制は違憲・違法」という原告勝訴になりました。
この問題はこれまでも何回か書きましたが、強要のやり方に恐ろしさを感じていました。
教育者の正反対にいる人たちが学校を占拠したとしか、私には思えませんでした。
そして今回の判決は、被告も原告も、おそらく思ってもいなかった結果になりました。
教育基本法の危機の中での意外な展開としかいいようがありません。

昨今の教育議論では、いずれの側にも子供の視点が感じられませんが、子供たちの視点からは今回の判決はどう見えているのでしょうか。

今回の判決は、国家にとっての基本である憲法に抵触しているかもしれない犯罪者の疑いのある人たちに、次世代を担う子供たちの教育を任せているということをはっきりと示しています。そのことをもっとみんな認識すべきです。
学校はいまや本来的な意味での教育機関ではなくなっているのです。

人生のモデルとすべき先生が、基本的な秩序やルールを破っているかもしれないという事実は、子供たちにとってはどういう意味を持つでしょうか。
日の丸・君が代事件や石原都知事の教育行政には、教育の視点がなく、イスラム世界の国家が子供たちを戦士に育てるのと同じ「洗脳」の視点しかないように感じます。

子供は大人の背中を見て育ちます。
憲法をないがしろにしたり、考えの違う人を排除したり、権力に迎合したり、そんな大人たちがはびこっており、しかも彼らは「愛国心」を押し付けています。
もし愛国心に価値があるとしたら、まずは自らが愛国心を持つべきでしょう。そうすれば少しは説得力が出てくるでしょう。
愛国心を語る人たちが国家を、文化を壊してきた歴史を少しでも知っていれば、かれらの胡散臭さはすぐに見えてくるはずです。
私たちはもっと歴史を学ばねばなりません。
しかし、日本の学校は現代史を教えようとはしてこなかったのです。

憲法違反しているかもしれない人に子供の教育を任せている不安を感じている人は少なくないでしょう。
そろそろ義務教育発想に支えられた学校制度は根本から見直されるべきではないかと思います。
教育とは何かを考える教育者が最近はいなくなってしまいました。

教育基本法の行方が心配です。
国民の手に取り戻さないと、どんどんおかしな方向に行きそうです。

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